二日を掛けて祖父の通夜・葬儀・告別式など一通りの葬礼を終え、後は実家に任せて私だけ帰宅。
地元から離れて生活しているとはいえ、私は式本番での手伝いしかできていないため、施主の父や補佐をしていた母、実家の近くに住んでいるため諸々の手配を手伝っていた姉や妹と比べて対して大した苦労をしておらず、むしろ皆の努力を労う側です。
それでも帰りの高速道路運転中に寝落ちしかける程度には疲れました・・・
身内の葬儀は度々あることではないとはいえ、心身ともにしんどいものですね。いや度々あってはたまったものではありませんので、稀で良いのですが。100年、いや、300年に一度くらいで良い。
そんなわけで、あまり記事を書く余力も無いため、今の気持ちをつらつらと述べてみます。
「家族葬だから。知ってる人しか来ないから。だから大丈夫」
急遽受付を担当することになりましたが、その時の母の言葉。
コロナ禍で大々的にできないことから家族葬とあいなりましたが、地元で顔が広い遊び人の祖父だったため、様々な方に参列いただけました。95歳の大往生、すでに祖父の兄弟友人は多くが他界されている中、それでも大勢来ていただけたことは祖父がそれだけ慕われていたことの証左だと思いますので、とても嬉しいことです。
・・・半分以上知らない方だったのですが。家族葬とは一体。
「我が人生に悔いは無し」
祖父の遺言、とまで畏まった形式かどうかはさておき、何年も前に祖父が子どもたちや親族に向けて残した記録の冒頭。皆のおかげで悔いは無い、と言う祖父のおかげで、こちらも安心してあちらに見送ることができます。なんともまさしく、おかげ様のお互い様です。
私は幼少の頃から祖父に似ていると言われてきましたし、それを喜んでよく祖父の真似をする孫でした。私が大雑把でお金に無頓着で遊び人の気質なのは祖父の血筋だと思っています。いずれ自身に最期の時が来るときも、祖父の真似をしたくなりました。
葬儀とマスクは相性が悪い
水分でマスクが重くなるので、邪魔です。葬儀とマスクは相性が悪いですね。
重くしなければいい話ではありますが、どうしても込み上げてくるものが。
拳骨をもらった記憶ばっかりしかないのに、不思議な話です。
男衆で涙を見せていたのは私一人だけだったので、少し恥ずかしい気持ちもありますが、「男が泣くな」と祖父に拳骨をもらった記憶が、懐かしく蘇ります。