忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

一年ぶりの誕生日と子どもの頃の思い出話

 3月16日、今日は私の誕生日です。わーい。

 誕生日はなんだか久しぶりな気がします、1年ぶりでしょうか?

 1年に1回しかないと忘れちゃうので、もう少し高頻度でやってくるといいんですけどね、誕生日。

 

 ・・・個人的に鉄板のボケです。

 本当に誕生日を忘れるので、真性のボケでもあります。

 ボケ(正)にボケ(偽)を被せるボケ(真)です。

 

そろそろ2周年が近づいてきた

 ブログを始めてから誕生日を迎えるのはこれで2回目です。

 ブログを始めたのが4月なので、誕生日が来るとそろそろこのブログも周年を迎えるのだと感慨浅くなります。感慨深くなるほどではないです。そこまでしみじみとはしないです。

 

 約2年もブログをやっているのだなと思うと、時が経つのは早いような、別にそうでもないような、微妙な気持ちになります。

 近頃は昔書いた記事を読み返そうにも量が多くて読み返し切れない程度になってきたので、むしろ2年の月日は充分に長く重いとすら感じます。書いてきた文字数をざっと計算すると100万文字をかるく超えていますので、文庫本で言えば10冊以上です。そりゃあ長いし重いです。

 

誕生日はどうでもいい話をする日

 さて、誕生日はどうでもいい話をする日です。そう決めています。

 去年は同じ誕生日の友人の話をしました。

 ちなみに彼は今年も私の誕生日を事前アナウンスしてくれた良い奴です。彼に言われなければ今年も忘れたままでした。

 

 今年はどんなどうでもいい話をしようかと考えましたが、特にオチも無い思い出話でもしましょう。

 

祖父のキュウリ

 子どもの頃、実家の隣に畑があった。

 今は手放してしまいよそ様の家が何件か建っているが、まあその程度の広さの畑だ。家庭菜園の延長、いや、まごうことなき家庭菜園だろう。

 祖父はそこでいくつかの野菜を育てていた。生家が農家だったからだろうか、楽しそうに畑を弄っていた。毎日畑を弄っていた祖父の姿は今でも思い出せる。

 遊び人であった祖父は洒落た服を着ることを好んでいたが、畑に居る時の祖父は瀟洒とはまったく正反対の地味で大人しい印象を発していた。

 

 祖父は色々な野菜を作っていたが、私はその中でもキュウリが好きだった。

 夏は小学校から帰ってきて、家に入る前にランドセルを背負ったまま畑に行って祖父からキュウリを一本もらっていた。

 キュウリを持って家の門を潜り、庭にある水道で土を洗い流し、味噌や塩はいらないかと声を掛けてくれる母の申し出を断り、そのまま噛り付いて食べる。採れたての新鮮なキュウリは何もつけなくても、むしろ何もつけないからこそ美味しかった。

 キュウリを食べ終わったらランドセルを窓から家の中に放り投げて、母の小言を背中に友達との遊び場へ走っていくのが日課だった。

 キュウリのヘタはどうしていただろうか、確か庭か畑に投げ捨てていたと思う。肥しになるかは分からないが、怒られなかったので問題は無かったのだろう。

 

 子どもの頃はタケノコが苦手で食べられなかった。

「タケノコもキュウリも同じようなものだろう、食え」

と祖父や母は言っていたが、子ども心に絶対同じものではないと確信を持っていた。

 キュウリは美味しいが、タケノコは美味しくなかった。

 タケノコも今では食べられるようになったが、未だにタケノコを食べる度に苦みを感じる。これはアク抜きのせいなのか、当時感じた理不尽さのせいなのかは分からない。

 

 キュウリで思い出すのは幼稚園の保護者参観でのことだ。

 私自身はそんな幼児の頃のことなどまったく覚えていないが、母に繰り返し言われたので内容を覚えている。

 保護者参観では先生が園児たちに好きな食べ物を聞いていたようだ。どこのご家庭の園児も立派な料理の名前を挙げる中、私は一人大きな声で「キュウリ!」と答えたらしい。

 「普段からちゃんとしたものを食べさせてるんだから、せめて唐揚げとでも答えて欲しかった、あんた唐揚げ好きだろうに。お母さん恥ずかしかったよ」と後々になって言われたが、当の私は覚えていないから時効にしてもらいたい。

 それに、祖父のキュウリは美味しかったのだから、仕方がない。

 

 祖父の体調に合わせて畑は年々縮小されていき、最終的には全て手放してしまった。祖父もすでに鬼籍に入っている。

 祖父が畑を弄るあの光景はもう二度と見ることはないし、私があのキュウリを味わうこともない。

 それでも祖父の作ったキュウリの味はまだ覚えている。

 だから、きっといいのだろう。