休暇ではありますが、祖父の三回忌があるため少し時間の余裕が無い感じです。
明日は喪服を着込んで実家へ里帰りしなければなりません。
正月に一度帰りましたので、これで一週間ぶりの帰省です。ほとんど親元へ帰らない親不孝者の息子のため、これだけ短期間に実家へ顔を出すのは実家を出て以降ほぼ事例が無く、祖父が亡くなった時と今回くらいになります。
そう考えると、私の人生において爺ちゃんの存在は重かったのかもしれません。
単純接触効果と言いますか、子どもとしてはやはり構ってくれる大人を好きになるものですので、私はよく構ってくれた祖父に懐いていたと記憶しています。子どもの頃から祖父に似ているところが多いと言われてきましたし、それがなんとなく誇らしいと思う程度には慕っていました。
今にして思えばだらしのないところもあれば立派なところもある等身大の人間だったと回想できますが、孫からすればよく相手をしてくれる良い爺ちゃんでした。
そんな祖父の背中を見て育ったためか、私も無事、人並みにだらしなく、そして人並みに立派な人間に成れたと思います。もちろんまだまだ至らないところは多々ありますので精進していくばかりではありますが。
ただ、だらしない側面があるのは人間として当然ではありますが、お金にだらしがなかったのは宜しくありません。
私がお金にだらしないのは祖父からの遺伝だと勝手に信じています。
なお、祖父の息子である父もお金にだらしがないので、うちの家系の男衆はお金を管理できないボンクラです。女性陣はそこらへんキッチリしていますので、そこでバランスが取れています。
まあなんにせよ、私がお金にだらしないことは遺伝であろうと家族生活における習慣であろうと、ある意味で祖父や父との繋がりを感じる部分です。似通った部分があることを少し嬉しいと感じますし、だからこそこのような悪癖であっても積極的に治そうと思えない原因かもしれません。
いや、ええ、治すべきなのは間違いないのですが、なんとも困ったもので。