忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

誕生日、それは思い出話を記事にする日

 3月16日、今日は私の誕生日です。わーい。

 

 この書き出しも3回目です。芸が無いですね。

 でも、ブログをやっているおかげで今年は誕生日を思い出すことができました。忘れん坊とブログはとても相性が良いようです。

 

少しだけ振り返ってみる

 ブログは4月に始めたので、来月にはこのブログもいつの間にかの3周年です。

 さすがに3年ともなると、よくもまあ飽きもせず毎日雑文を投稿できているものだと自分自身に少し感心します。少なめに見積もっても200万字以上、文庫本換算で20冊オーバーですので、案外馬鹿にできない文章量です。統一性もなくバラバラに好き勝手書いているだけですので合計量に意味があるわけではありませんが。

 まあ今後も適当にやっていきますのでよしなにです。

 

誕生日だからこそどうでもいい話を

 さて、誕生日ともなればどうでもいい話をする日と決めているので、出来る限りどうでもいい話をしたいところです。

 1年目は友人の話、2年目は祖父の話でしたので、今年も思い出話シリーズでいきましょう。個人的なちょっとした思い出をダラダラ書いていくのもさすがにアレですので、やっぱり印象的な思い出話をしたいところです。

 

 さて、何を話したものか・・・どうにも困ったことに、記憶を辿るとお馬鹿なことをやったエピソードしか浮かんできません。小学校の屋根に登って体育教師に取っ捕まった話や、小学校の放送室でゲームをやっていたのがバレて体育教師に廊下で引き摺り回された話などなど、学校の先生に散々迷惑を掛けた思い出話はいくらでも出てきますが、誕生日に話すような話題ではないかもしれません。

 

 よし、今年はお馬鹿な話ではありつつも道徳に関する思い出話をしましょう。

 名付けて『小学生男子4人 遺失物横領未遂事件』です。

 ・・・実に不穏な響きです。

 

小学校低学年の頃の話

 四半世紀以上昔の話をしよう。

 当時私たちが住んでいた地域では、集団登校は行われていたが下校は各自の自由だった。私が通っていた公立小学校では低学年の男子を塾に通わせるような家庭も少なく、多くの男子はフラフラと適当に遊び歩きながら帰宅したものだ。下校はただの移動時間ではなく娯楽の時間であった。

 今日はあっちから帰ろう、今日は「赤い橋」のほうに行こう、今日はあそこの林を抜けよう、今日はあいつの家に行こう、お小遣いがある奴は学校裏の駄菓子屋に集まろう。そんな、実に不羈奔放で、幼年期にのみ味わえる小さな冒険の時間だった。

 

 あの日、私たち男子4人は帰路の途中にある林で遊び惚けていた。広さにしておよそ200m四方、今では林は全て切り倒されて地域の食卓を支えるための商業施設が立ち並んでいるが、当時はどこまでも続く広大な林に思えたものだ。林を抜けたところでそれぞれの家に解散することが常であったため、分岐点の手前にある林の中で名残惜しさに後ろ髪を引かれて遊び続けることが多かったのを覚えている。

 住宅街の近くにある林は意外と娯楽に富んでいる。様々な投棄物がそこらに転がっているし、そもそも小学生男子にとって長い棒がいくらでも手に入る林は最高のエンタメスポットに他ならない。段ボールに隠された犬の骨を見つけた時は肝試しさながらの大騒ぎとなったのも良い思い出だ。

 

 その日、私たちのちょっとした冒険の果てに発見したのは、小さな小銭入れだった。

 当然だが誰かが落としたものだろう。中身を拝見すると数枚の千円札とそこそこの小銭、そして何故か海外の硬貨が入っていた。お小遣いにすれば何か月分かも分からないほどの大金だ。

 そんな大金を前にして、小学生男子が4人集まって道徳的な発想が浮かぶはずもない。それを交番に届けようとする声は上がらず、学校で習った足し算と割り算を駆使してそのお金をどうやって4人で分配するかの話し合いが行われた。教育の生かし方として実に最底辺である。

 お札が含まれていたため奇麗に四等分はできなかったが、それぞれが納得する程度に政治的交渉と分配の後、私たちはそそくさと林から出てそれぞれの家路へ急いだ。恐らく、子どもながらに後ろ暗い気持ちはあったのだろう。

 

「ただいまー」

「おかえり、さ、まずは手洗いうがいをちゃんとしてね」

 玄関を開けると、いつものように家の奥から母の声が聞こえる。この声の遠さからするに台所だろう。

 私はその日、靴も脱がずに玄関で突っ立っていた。

 いつもであればランドセルを投げ出して手洗いうがいすらせずにまた外へ飛び出していく息子が家にすら上がってこないことを不審に思ったのか、母が玄関までドタドタと小走りに向かってくる。

「どうしたの?何かあった?」

「んっと、その・・・」

 ズボンのポケットに手を突っ込んだまま俯いている私を、母は問い詰めたりはしない。ただ黙って待っている。天邪鬼な私に対しては無理に言わせるのではなく言うまで待ったほうが効果的であることを母は熟知していた。

「実はね」

「うん」

 あれは悪いことだったのだ、正直に伝えたらきっと怒られるだろう。怒られるのは嫌だ。だが、黙って秘密を心中に抱え込むほどの勇気もない。自白ではなく気付いてもらったほうが楽だと思う気持ちが無意識に手を動かして、ポケットの中の硬貨にジャラジャラと音を立てさせる。

 しかし、母はそれに気付いても黙ったままだ。ただじっと見つめている。

 観念した私は、ポケットの中で音を立てていた硬貨を握りしめ、母に差し出した。

「たっちゃん家の前の林で、お金を拾ったの。それで、皆で分けたの」

「そっか、帰り道の途中で使った?」

「ううん、まっすぐ帰ってきた」

「うん、ちゃんと言えて偉い。じゃあ、お巡りさんに届けよっか」

 

 その後、私ともう1人の自白によって判明した共犯者の母親同士で電話連絡が回り、お金を回収して交番へと届けることになった。幸いにして未遂に終わったが、遺失物横領をしでかすところであった。

 

歳をとって思うこと

 もちろん後で怒られましたが、あれは実に良い教育だったと思っています。悪事の自白を褒められたことはその後の私の人格形成に大きな影響を与えました。

 

 世の中には善行と悪行がある。

 それは不変的な現実であり、悪を滅することはできない。

 しかしそのどちらを選択するかは自らの意思で決められる。

 そこで善を手に取らず悪を選ぶこと。

 他者であれお天道様であれ、バレなければ悪事を働いていいと考えること。

 良心を裏切り他者と己を欺くこと。

 自らの所作を詳らかにせず覆い隠そうと思うこと。

 悪事そのものが恥なのではなく、自ら悪を選び取り、それを良しとする心の働きこそが恥である

 

 すなわち「恥を知る」ことの意味を子供心に学ぶことができました。

 

 あの時、母に黙ってお金をポケットに入れたままであれば、或いは母にきつく叱られていたら、私はきっと悪事を為してもそれを隠して顧みることのない恥知らずになっていたことでしょう。良い躾をしてもらったものです。