忘れん坊の外部記憶域

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人間を省いた環境負荷の測定に意味はあるのか

 近現代において公害や自然破壊が社会問題となって以降、環境問題への意識は年々高まっています。それに従い、エコ活動やLOHAS、ISO14001やカーボンプライシングの概念、脱炭素社会やサスティナブル学など、様々な概念や手法が出現しています。

 今回は現代の環境問題を考える上で欠かすことのできない環境負荷の測定に関して持論を述べていきます。

 

対処方法の変化

 環境問題において、かつては直接的な方策で対処することが主流でした。

 例えば騒音や大気汚染に対しては発生原因を法規制によって抑制し、森林破壊や土壌流出には植林をし、地盤沈下には行為そのものを制限する、といった形です。

 近年はそういった種々の方策が実を結び、原因が明白で対処が可能な環境問題の多くがある程度抑制できています。

 

 現代では経済のグローバル化が進み全体の規模が大きくなったことから、規模の拡大に伴って複雑系となっており、原因の直接的排除は難しくなってきています。そもそも一地域ならまだしも地球全体で影響をシミュレートする能力を人類はまだ持っておらず、単純に市場規模が地球全体に拡大したために予測できなくなったとも言えます。

 よって、かつてのように過去と現在のデータから因果を確定することだけでなく、過去と現在のデータに基づいて未来予測を行い、因果の確定を待たずに手探りで対処を実施する事象が増加しつつあるのが現在です。

 プラスチック問題や気候変動問題はまさにこの典型例と言えます。プラスチック製品をどう変えることで実際にプラスチックゴミがどの程度減り、それが海洋や動植物にどう影響を与えるのかはシミュレートし切れるものではありません。まずはやってみて、その後に効果測定をして、徐々に変革していくしかありません。

 

予測方法

 予測や効果確認のためには数値化が不可欠です。そのためカーボンフットプリントやISO14001の環境側面を代表例として、「製品やサービスが環境に与える影響」の測定が現代では盛んに行われるようになりました。

 この環境に与える影響を環境負荷と言います。一般に"影響"と言えば正負問わないものですが、環境負荷においては負の影響だけが用いられます。

 現代社会は「エコである」ことが消費者や顧客への訴求力を多少なりとも持つ情勢であり、それが目に見えるなんらかの形で表せることから、環境負荷の測定は多くの組織が積極的に実施しています。

 

人間は最大の環境負荷要因

 環境負荷の測定は生産や輸送、梱包や消費で用いられる原材料・装置・廃棄物・温室効果ガス・水・電気、そういったものが測定されている中で、それに関わる人間は除外されるのが一般的です。

 ただ、個人的な考えではありますが、環境負荷の測定において「人間」の要素を除外していいものか懸念しています。

 

 もちろん人間は直接的に環境を汚染する物質で構成されているわけではありません。しかし人間が活動するには必ず資源消費が必要であり、間接的に環境負荷を与えています。

 私は製造業に勤める人間なので、工場で例えてみましょう。

 工場で環境負荷、例えば電気消費量を減らすためには、自動機を全て廃棄して手動機を導入し大勢の人を雇うという選択肢が非現実的ながらも考えられます。

 この施策に意味はあるでしょうか?

 確かに自動機は電気で動くため廃棄してしまえば電気消費量を減らすことに資するでしょう。しかし工場で働く人を増やすということは、通勤やトイレや衣服や食事やその他様々なことで多大なエネルギーを消費することになります。トータルで換算すれば電気消費量が減った以上に環境負荷が増加する結果になることは火を見るより明らかです。

 そう考えると環境負荷の測定で人間の要素を省いている現状はあまり効果的ではないと懸念します。極論、「人間」を省いて環境負荷を測定するのであればなんでもかんでも人力にすればいいという結論になりかねません。それが本当に環境へ良い影響を与えるかと言われると、まあ、そうは思えないです。

 

結言

 極端ですが、人が生きること、それ自体が最も環境に負荷を与えます

 「人類こそがこの惑星の癌なのだ、だからこそ滅ぼさねばならぬ!」

なんて昔のゲームのラスボスみたいなことは言わないですが、とはいえ、人間が環境に与えている負荷というものはもう少し考慮し、環境負荷を測定するのであれば「人間」の要素は省かないほうがいいのではないかと愚考する次第です。

 

 

余談

 単純に環境問題の根本原因は近現代における人口爆発と消費エネルギーの増加なのですけども、それに対策をと考えるとどうしても昔のゲームのラスボスのようなことになるので難しいところ。