先日、ようやく初めて紙ストローなるものを使う機会を得ました。
SNSなどで大変に酷評されている紙ストローですが、そうは言ってもデザイナーがストローとして使えるよう設計・評価しているのですから、そこまで言うほど酷いものであるはずがありません。プロが作っている商品なのですから、ちゃんと耐久性やユーザビリティ、ユーザーエクスペリエンスを考慮して作り上げられた商品でしょう。私は設計に携わる技術屋ですので、デザイナーの技術力とプロ意識を絶対的に信頼しています。
使用した感想
プラスチックでコーティングすれば少しはマシになるんじゃないかな?(本末転倒)
「再生可能」の限界と規模
まあ、個人的に不評だったというだけです。どうでもいい感想です。
感想はさておき、本日は資源としての「木材」の話をします。
昨今の流行りとして、プラスチックから紙へ、という展開が進んでいます。
私は子どもの頃に社会科の授業で「酸性雨や森林皆伐によって森がどんどん減っている、森林を守らなければならない」と教わってきた世代ですので「木材」を資源としてどんどん使うということには少し違和感を覚えてしまうのですが、とはいえプラスチックの使用量を減らす代替資源に木材という選択肢があることは理解できます。
資源としての「木材」は再生可能な点が優れていると謳われています。石油や石炭のように消費すれば失われる資源と異なり、木材は植林によって再生することができるためです。
植物が成長するには太陽光だけではなく大地の資源を消費するため厳密には必ずしも半永久的とは言えませんが、とはいえ枯渇性資源と比べて長期間使用できることは間違いありません。木材は風力や水力と同様、太陽光エネルギーが形を変えた長期的に再生可能な資源です。
具体的なCO2排出量の抑制効果やコストの話は専門家にお任せするとして、この手の持続可能性について説明を聞いた際に私がいつも疑問に思ってしまうのが規模の問題です。
以前も取り上げましたが、産業革命において製鉄が盛んに行われた結果、原料の木炭を生産するためにイギリスの森林資源は枯渇することとなりました。
そもそも何故人類は石炭を用いるようになったのかです。産業革命の頃、鉄鉱石を製錬するために大量の熱源が必要になったことから当時のイギリスでは森林を伐採して大量の木炭を生産しており、それによってイギリスの森林資源は瞬く間に枯渇することになりました。その後は海外から木炭を輸入していたのですが、それではコストが合わないために目を向けられたのが石炭です。攪拌精錬法のような製鉄法が発明されて石炭で製鉄が出来るようになったおかげでイギリスの森林枯渇問題は解決しました。つまり石炭を使用していなかった当時は森林が枯渇したという歴史的事実があります。
現代のイギリスはこの時代の過ちを再度犯しているような気がします。現代は人口・エネルギー消費量ともに産業革命当時とは比べ物になりません。当時ですら森林資源が枯渇するほどだったのに、現代社会の消費エネルギーを森林で賄おうとするのは不可能です。イギリスだけならばまだしも、COP26によって他国の石炭利用を咎めて各国が石炭からバイオマスに移行でもしようものならあっという間にバイオマス資源は枯渇してしまいます。
上記記事で引用している認定特定非営利活動法人 FoE Japanは、石炭の代わりに用いられている木質ペレットによってカナダの森林面積が減少していることを報告しています。
木材は成長するのに何年、何十年も掛かります。つまり資源化が可能な範囲は植林が可能な面積と植林の速度、そして木々の成長サイクルに依存するはずです。どれだけ再生可能だとしてもそれが間に合わないほどの規模と速度で資源化してしまっては森林面積が損なわれる一方となり、持続可能では無くなってしまうでしょう。
つまり、実験室の中や理論の構築段階ではその技術が実用化可能か、その技術で資源効率が高まるか、という研究が行われることにはまったく問題ありません。しかしいざ社会へ実装する段階においては、その技術はどこまで規模を拡大できるか、その技術が社会環境に影響を与えないか、といったアセスメントが行われなければなりません。何も考えず安易に規模を拡大したばかりに環境へ多大な影響を与えてしまった結果は歴史上枚挙に暇が無いのですから。
何をどこまで変えるかのバランス
もちろん従来通りに石油資源を使い続けていればいずれ枯渇することは目に見えており、プラスチックから紙へ、という方向性自体は問題ないと考えます。
しかし規模の限界を考慮すると、置き換えが可能な分岐点がどこにあるかを私たちは考える必要があります。「プラスチックは悪であり、全て廃止しなければならない」とまで過激化してしまうと、全て別のものに置き換えた結果世界中の森林が無くなりました、という結果になりかねません。少なくとも森林資源で現代社会の資源消費を賄うことが絶対に出来ないことは19世紀の時点で証明されています。
どこまではプラスチックを使い、どこを別の資源に変えていくか、それは持続的に可能な範囲かどうか、様子を見ながら少しずつ変えていくことが必要でしょう。
そしてそのバランスを取ることは一企業や一国家では難しいものです。何を変えるかだけではなく、どうやってバランスを取って変えていくか、そういったことが国際会議の場でもっと語られるようになることを期待します。
余談
正直なところ、紙ストローはどうにも欺瞞を感じてしまってあまり好めません。
化石燃料の使用を減らすにしても原油は蒸留分離しているのですから軽油や石油や重油などまとめて使用量を減らさなければあまり効果が無いですし、プラストローよりも原価が高いので資源を余計無駄に使っていますし。(工業製品の原価が高いということはそれだけたくさん資源を消費している)
主目的は海洋プラスチックごみの削減ということですが、ストローは体積割合でも質量割合でも数量割合でも1%以下であり、ペットボトルやブイ、漁業網などに規制をしなければ削減にはほとんど効果がありません。
なにより「ごみを減らす」ことも絶対重要ですが、海洋プラスチックごみの問題を解決するなら「ごみを補足して回収する」「海洋投棄をしない」ということをやらなければ意味が薄いです。
そもそも紙ストローに対する言説を見ると、紙ストローを作る企業は「市場からの要求」、使う企業は「ブランドイメージの向上」ということですが、本来目指すべき目的は「環境の保護」では?
環境を保護することが目的のはずなのに、その目的に資するかではなく何らかの手段をやっているかどうかばかりが重要視されてしまっていて、手段が目的化しているような感覚を覚えます。もっと効果があることを優先してやればいいのに・・・
補足
プラスチックを使用することによるフードロス削減の話
「やってる感」よりも効果があることを優先したい話