先日、「文章量の少ない記事を投稿しようかな?」と書いた後に文章量多めの記事を2連続で投稿するあたり、先の事を本当に何も考えないで記事を書いているのだということが大変よく分かるんじゃないだろうかと思いました。
私が先の事を少しでも考えられる人間であれば、このブログもこんなジャンルバラバラではなくもう少し統一感と方向性があるものになったでしょうに。
この世に「雑記ブログ」というジャンルが存在していて良かったです。これが無ければ私はまともにブログ管理をできていなかったでしょう。今がまともにできているとは言わないですけど。
そんなわけで今度こそ軽い記事を目指して、ブログに関する雑談でもしてみます。まったくと言っていいほどブログに関する持論が無い以上、きっとすぐにネタ切れとなって書くことが無くなるはずです。
管理とは一体なんだろう
Webサイトやブログでは"管理"するという表現が用いられますが、正直なところ私はあまり管理感を感じていなかったりします。
なんでしょうね、管理感という造語は。
いえ、まあ、今から説明します。
管理には大きく分けて二つの意味合いがあります。
一つは静的な管理。組織の構成や人員の配置、為すべき行動の規定や目標の設定、そういった形や言語として定型化するものを構築するのが管理の一つです。
Webサイトやブログで言えば、サーバやドメインの設置、どのようなレイアウトで何のコンテンツを配置するか、そういったことが静的な管理と言えます。
一つは動的な管理。実際に組織を動かすにあたり日々の資源の出入りを監視し、起こる事態を解消し、問題なく運営を継続できるよう日々手を加えることがもう一つの管理です。
Webサイトやブログで言えば、新しい記事を投稿することや来場者への応対、荒らしや攻撃者への処置などが動的な管理と言えます。
これら2つの管理をしているかどうか、ではなく、していると思っているかどうか、が管理感です。日本語における【単語+感】はその単語が実行されているか否かを問わず、その単語の状態にあるという感覚の有無を意味する言葉です。
疾走感などが分かりやすい例ですね、実際に疾走していようがいまいが疾走していると本人が感じていればそれは疾走感です。同様に、管理していようがいまいが自身が管理していると感じれば管理感になります。その管理感を私はあまり感じていません。
言語上の理屈は正しいですが「何言ってるんだこいつ?」と思われる感覚も正しいと思いますので大丈夫ですよ。
管理感を感じていない
さて、ここは「はてなブログ」です。つまりハード面でもソフト面でも「はてなブログ」さんが静的な管理の面の多くを肩代わりしてくれており、正直管理している感覚をまったく感じていません。私はほとんど手を加えていないので9割方デフォルトのままですし。
さらに言えばうちは雑記も雑記、ごった煮もごった煮、日本中のお雑煮をかき集めてもここの記事群よりは統一感があるんじゃなかろうかと思うくらいに雑な"管理"をしているため、もっとはっきり言えばコンテンツの管理をしていないため、管理している感はほぼ皆無です。だってやっていないのですから、感じるわけがないのです。
次に動的な管理ですが、これもほぼ感じていません。きっと規模の大きいところでは過激なコメント、誹謗中傷や荒らし、そういった方々への対処に日々翻弄されていることでしょう。
うちのブログはそんな人が来ないネットの片隅、重箱の隅、部屋を丸く掃いたら怒る姑ですら見落とすようなこの世の隅っこ、半歩ほど幽世に足を踏み入れたシュレディンガーの猫的実在性の不確かさ、そんな僅少で曖昧な空間を占有している苔生した思索と文章の墓場であり、人の出入りを管理していないどころか管理するほど人が出入りしていないという悲しむべきなのか笑うべきなのか黄昏れるべきなのか分からぬ始末です。
まあ、文章の墓場と思って作っているブログですし、むしろそれが楽しいのではありますが、ただ当然ながら管理感を覚えることはさっぱりありません。
ブロガーと名乗ったことが無い
そんなネットの片隅に居る私でも何度かよそ様に取り上げていただき、あまつさえ「ブロガー」と呼んでいただいたこともあります。
もちろんブロガーの定義は「ブログを書く人」なのでまったく正しいのですが、ただ、自分からブロガーと名乗ったことは一度もありませんし今後も無いと思います。
あれは、なんというか、真面目にブログと向き合っている人、真摯にブログを運営している人、全力でブログを管理している人が名乗るべき呼称なような気がしてしまっていて、”管理感”すら覚えていない私のようなちゃらんぽらん文章吐き出しマシーンが名乗っていいようなものではない気がして。どうにも気恥ずかしい、というよりも気後れする感じです。あれは心身ともに"管理感"を覚えている人のための称号だと考えます。
私のようなポンコツが名乗るのであれば・・・あ、さっぱり思いつかないです。この記事のオチにしようと思っていたのに。
まあ、たまには、たまにではないですが、山無しオチ無しで終わらせてもいいでしょう。
余談(独白)
短く終わらせるつもりだったのにこんな思い付きの雑文で2000文字超えるとか馬鹿じゃないの?