忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

スピリチュアルで科学用語を使うのはなぜ?

 理系の素朴な疑問。

 スピリチュアル系にはまったく詳しくないので、詳しい方にご教授いただきたいと思っていることについて述べていきます。

 

理系的な態度

 私の職場は機械系・電気系のエンジニアがゾロゾロと雁首を揃えており、「理系の巣窟」という空気感です。科学知識は豊富ですがそれ以外はどこかに忘れてきてしまった人が大多数となっています。

「ど忘れしたんだけど、『山椒魚』の作者って誰だっけ?」

「聞いたことがあるような」

「国語の教科書で読んだ記憶が」

「山椒魚ってなんだ?」

「虎になっちゃう話だっけ?」

「夏目漱石じゃないか?」

 そんな人々です。ただのお馬鹿さんの集まりなだけかもしれません。井伏鱒二だよ。

 ちなみに私も『山月記』の作者名(中島敦)が出てこなかったので立派な馬鹿の1人です。

 

 そんな理系だらけの職場のためか、科学的に疑わしい製品を誰かが見つけるとその科学性について議論をする雑談習慣があります。非科学的なものを揶揄するというわけでもなく、自分たちが科学理論をちゃんと理解しているかの復習が目的です。

 今年の初頭にTwitterでバズっていた『高エネルギー天然水』では以下のような会話がありました。

「高エネルギー天然水がTwitterでバズってますよ」

「位置エネルギーを保存しているのか、凄いな、意味が分からない」

「位置エネルギーって保存できるのか?」

「無理だろ」

「感覚的におかしいことは分かるけど、ちゃんと説明できないかも」

「ポテンシャルをちゃんと理解していれば簡単だ」

「熱や運動とは違うわな、位置エネルギーは文字通りポテンシャル、潜在だ」

 このような感じで、復習のキッカケとして活用しています。

(高エネルギー天然水はジョークだと投稿者が説明しています)

 

 最近話題になったのは「磁力線が高速で回転することによって発生する「拮抗ゼロ磁場」がエネルギーを付与する」という商品に関してです。

 磁力線の高速回転ってなんだ?回転磁場の話か?いやしかしコイルみたいに正弦波を流しているわけでもなし、ただの磁界の話だろう。磁界はベクトル場だから力と向きを持っているが、場が回転してゼロ磁場を生む?磁場の打ち消しは分かるけどそもそも拮抗したらエネルギーはゼロになるのでは?

 というように、数人で集まって電磁気や場の復習がてら考察しています。実に理系です。

 

科学用語の混線

 そんな理系脳からすると、スピリチュアルで使われている用語が凄く引っ掛かるのです。するりと頭に入ってこないのです。

 これはスピリチュアルを揶揄しているわけではなく、同じ言葉が使われているから困惑しているだけだと思います。周波数波動磁場次元、そういった言葉は科学用語とスピリチュアル用語では明確に意味合いが異なるわけで、とかく違和感を覚えてしまいます。言葉を聞いても脳の回路が混線してしまい、上手く呑み込めないのです。

 

 例えば【周波数】一つ取っても、科学屋からすればそれは周期の逆数であり単位時間当たりの振動回数Hzですが、スピリチュアルでは内的なエネルギーの意味として扱われる単語、ですよね?

 こういった言葉の意味に違いがあるため、例えば「人それぞれ周波数を持っています」と言われると、理系的には「それは固有振動数の話だろうか?」とかズレたことをまず思ってしまうのです。

 「自分の周波数を変えましょう」と言われれば私のような機械屋は質量なり密度なりを変える話だと誤解しますし、電気屋であれば自己インダクタンスや電気容量を変える話と誤認するでしょう。いや、まあ、しないかもしれませんが、少なくともパッと自然に浮かんでくるのはそっちの方向であり、そのせいでなんとも話を呑み込みにくいのです。

 私なんて立派な馬鹿の1人ですので、「自分の周波数を上げる」と聞けばダイエットの話かと思ってしまいます。機械力学の固有振動数では質量が分母なので、質量を軽くすれば固有振動数が上がりますからね、ええ。絶対そんな話では無いことは分かっているのですが、まず脳のスイッチが入るのはそういった方向性です。

 

 こう、見た感じと食べた感じに差異があると脳がバグる、と言えば分かりやすいでしょうか。見たところよく知った食パンの形をしているけど、食べてみるとキュウリの味がする、そのせいで脳が混乱して呑み込むことを体が拒否する、そんな感覚です。

 

スピリチュアルで科学用語を使うのはなぜ?

 スピリチュアルは本来的に心や世界など科学では説明が付かない「超科学的」な範囲を取り扱う分野だと思っています。

 そのスピリチュアルがなぜ科学用語と同じ用語を用いているのか、どうにも不思議なのです。本当にまったく理由が分からないため、純粋に疑問に思っています。

 科学とは別分野なのだから科学用語とは違う言葉で体系化した方が住み分けとして明確になっていいんじゃないかと愚考するのですが、いかかでしょう?

 

 

余談

 私は別に科学万能主義というわけでなし、スピリチュアルの考え方はクオリティオブライフの改質に向けたポジティブなものが多いので良いと思っています。

 例えばパワースポットに赴いて、山の水を飲み、森林浴を楽しみ、美味しい空気を吸う、なんて理屈の有無関係なしに凄く良いことですよね。これを否定する理由はまったく持ち合わせていません。

 さらに言えばそもそも私はプラグマティスト・実用主義者であるため、「その人がより良く生きるための道具」として有効であれば、それが科学であろうが信仰であろうがスピリチュアルであろうが信念であろうが個人の範疇において自由であり、なんだって良いと思っています。

 それはまあ、むやみやたらと高額なセミナーやお高いグッズは眉をひそめますが、それは別にスピリチュアルに限らず、自己啓発や宗教、ビジネスや科学、全てにおいて同様です。それが科学的に正しいかどうかは一切関係なく、高額なぼったくり商品は単純に良くないと思います

 

 商売人の倫理的に、どのような理屈において正しかろうともぼったくりはダメだと思うのですよ。だから、手のひらサイズの磁石をゼロ磁場だと言って10万円近い値段で売るとか、そういうのは・・・ねえ。

 好きで買う人はいいんですけど、売ってる人に対してはちょっとどうかと思わざるを得ないです。