私「なあなあ、仕事、面白いかい?」
若手「いや、まあ、面白くはないです」
私「そっかーそれじゃつまらないよな」
ふわっとした会話。若者との会話が下手なんじゃなかろうか。
近場にいる若手や新人に仕事が面白いかを聞くと、まあそこそこの比率で「面白くない」と答えます。情動的共感により、少し悲しいです。
仕事が楽しめないのはやむを得ないところもある
仕事の満足度は測定基準が難しいことからか具体的な統計データがあまり無く、厚生労働省やリクルート系サービスをやっている企業からいくつかのデータを漁ってみる限りでは半数以上の人が仕事への満足度が低いという結果が主流のようでした。
少し極論気味にはなってしまいますが、これを言い換えれば、仕事が面白くない人が多数派と言ってもいいのかもしれません。
もちろんそれに反するデータもありましたが、とりあえず今回はその比率が主題ではないので捨ておきます。本日の記事では仕事の面白さつまらなさについてを語っていきます。
つまらないのは個人のせいだけではない
そもそも論として、若手や新人が仕事を面白いと思えないのはやむを得ないところがあります。
これは過去の記事でも書いたことがありますが、まだ職務における自由度が低く権限を持っていない若手や新人が楽しみながら仕事をするのは相当に難しいものです。
しかし面白いことに、人は「やりたいこと」をやっているときよりも、「やりたいように」やっているほうが楽しさを感じるようにできています。
他にも新社会人が仕事を楽しく感じない場合が多いのはまさにこの感覚です。
やりたいことをやれる会社に入ってやりたい仕事をしていたとしても、新人が任される仕事の多くは責任の無い雑用のような仕事ばかり、与えられた仕事ばかりをしている状況ではやりたいように仕事をすることはできません。そんな状態を楽しく感じられないのは仕方がないことなのです。
仕事が楽しくなるのはやれることが増えてきて、実績と権限が増してやりたいようにやれるようになってからです。
元記事ではゲームを例にしましたが、他のどんなことでも同じです。読書好きの人が机に縛り付けられて無理やり読書をさせられても楽しめないように、コーヒー好きの人が無理やりコーヒーを口に流し込まれても嬉しくないように、人は「好きなことをやる」よりも「好きにやる」こと、つまりやりたいようにやることこそが面白さを感じることができます。
この理屈は中堅以降、役職に就いてからも付き纏う問題です。たとえ権限が広くなって動かせる予算の額が大きくなったとしても、それは同時に必ず付き纏う責任という枷が重くなることも意味しています。組織の力学によって得られた権限よりも責任の枷のほうが大きい場合は自由度が下がり、否応なしに仕事がつまらなくなることでしょう。
そもそも面白い仕事って?
つまるところ、「面白い仕事」と「つまらない仕事」があるというのは少し誤解です。そうではなく、「仕事が面白い」状態と「仕事がつまらない」状態が存在していると表現するのが正確でしょう。
「面白い仕事」というのは形而上的な存在です。自身にとって「面白い仕事」があるのであれば、それは仕事そのものが面白いのではなく、それに面白みを感じることができているということです。
これを意識していない場合、仕事の面白さへ辿り着くまでに相当な時間が掛かってしまいます。
「今やっている仕事はつまらない仕事だから面白くなくても仕方がないんだ」と考えてしまい、さらには「もっと別の面白い仕事にアクセスできれば楽しめるんだからそれまでは我慢しよう」となり、行動が防御的・忍耐的な方向へと向かってしまいます。しかしそれでは面白くない状態から抜け出すことはできません。自らの気持ちの問題である以上、面白さが他所から降って湧いてくることはまず無いのですから。
それよりも能動的かつ積極的に面白さを見つけることに労力を割くこと。それを優先した方が良いでしょう。
つまりどんな仕事であっても、「やりたいように」やれるよう頑張ってみる、そうすれば仕事は自然と面白くなっていきます。もしくは「やりたいようにやれる」ところへと移動する、それも選択肢の1つです。
この「やりたいように」というのは多義的です。自分のペースで物事を動かすことでもありますし、自分の意思が反映されるよう環境を変えることでもあります。
これをはっきりした表現で言えば、マイペースということです。
結言
何事もマイペースであれば面白い。
これはよくよく考えなくても当たり前のことではあるのです。よって私たちがすべきは「面白い仕事」を探したり待ち望んだりすることではなく、マイペースに仕事ができるよう自ら能動的に努力することだと思います。それこそが面白さを生み出す根源です。