海外のビジネスマンと文書やメールでやり取りをしたことがある人であれば、恐らく「san」を見たことがあるかと思われます。
「san」とは冒頭の宛名においてYamada-sanやTaro-sanのように用いられるもので、Mr.やMs.と同様に敬称の意味です。日本語の「さん」よりも少しかしこまった表現で、どちらかと言えば「様」に近いニュアンスを持っています。
なぜ「san」が外国で広まったかは分かりませんが、日本人の名前から性別を読み取りにくい海外の人からすれば性別を問わず使える利便性の高さや日本文化への敬意の表しやすさなどいくつかの理由が挙げられています。
とはいえ「san」は定型化されたフォーマルな表現ではないため、人によって使うタイミングや是非の認識に違いがあります。今回はその一例として、あるアメリカ人とのやり取りを記録してみます。
「san」に関する認識
仮名として、相手の名前をJames Smithとします。
ちなみにこういう時はJohn Doeを使いたい派ですけど、ジョン・ドゥは日本語で言うところの「名無しの権兵衛」なので仮名としては使い勝手が悪いところが難点。
James Smithは「山田太郎」くらいのニュアンスになるかと思います。
私
「Hi, James! ちょっと敬称について聞いていい?
私は日本人に英語でメールを送るときは敬称として必ずsanを付けているんだけど、日本人以外にもsanを付けたほうがいいかな?
個人的にはwhen in Rome, do as the Romans do(郷に入っては郷に従え)だと思っているから、日本人以外の人に対しては相手の文化を尊重する意味でもsanを使わないでDearやMr.を使ったほうがいいと考えているんだけど、でもJames-sanのようにsanを付けることで親近感が増すなど良いニュアンスになるのであれば付けようかと思うんだ」
James
「sanについてはそこまで気にしなくてもいいよ、Jamesと呼んでもらえれば充分さ。
僕の理解からすればsanはMr.を使うのと同じで、James-sanならMr. Jamesという感じかな。でも普段僕のことをMr. Jamesと呼ぶのは友達の子どもたちだけだね。アメリカ文化では仕事の場面ならばMr.+姓を使うよ、僕が呼ばれる場合ならMr. Smithが一般的だね。
人々は時々お互いを姓で呼び合うこともあるしそれは受け入れられるけど、それは軍隊的な文化背景に基づくものなんだ。
でも君は友達だから、僕のことをJames、もしくは負け犬(looser)、ドジっ子(dork)、他のどんな形容詞で呼んでくれても構わないよ、HAHAHA。
Mr.やMs./Mrs.といった肩書は対面や書面で使用するけど、現在では非常にフォーマルだと見なされるかな。普段であれば書面なら姓だけで呼ぶことが一般的だね。と言っても、仕事の場面でもフォーマルな状況でなければ名前だけを使うことが多いよ。僕たちが姓やMr.みたいな肩書を使うのは、何らかの役職に付いていて名声や尊敬を集めている人を指すときだけかな。
ちなみに僕がニューオーリンズの神学校にいた頃は、大司教のことを「姓+大司教(Archbishop)」で呼んでいたよ。彼と話をしたり書面で書いたりする時には彼の大司教としての地位に敬意を示して「閣下(His Excellency / Your Excellency)」と呼ぶ時もあったけど、彼はそれを嫌がっていたから僕は単に大司教とだけ呼んでたな。
ちなみに神父様を呼ぶ時は「神父(Father)+姓」が一般的で、親しい関係であれば「神父(Father+名前)」で呼ぶね。
軍人は彼らの階級と姓で呼び合っているよ。例えばジョンソン軍曹とかスミス大佐とか。同僚や凄く親しい間柄であれば通常はお互いを姓で呼び合うけど、名前を使うこともあるね。
顧客と話す場合は、同じ立場であれば名前で呼び合うのが一般的かな。でも社長や幹部みたいに相手が上位の立場の人であればMr.またはMs./Mrs.+姓を使う必要があるね。
もちろんこれらは一例で、実際は状況と文脈に依存するよ。例えば僕の上司であるTaro(仮名)のことは名前でTaroって呼ぶけど、時々ふざけて”Taro-sama”って呼ぶこともあるくらい」
結言
日本における敬称文化も色々とややこしいですが、アメリカでもシーンによって色々と分かれていて難しそうです。
あと、日本語の様(sama)まで理解しているアメリカ人の見識に驚きです。
余談
私「OK、”ナイスガイ”って呼ぶわ」
James「LOL」