余計なお世話、という言葉はあまり良い意味合いではありません。まあ”余計”という言葉が入っていることから当然ではあります。類語は「おせっかい」「ありがた迷惑」「いらぬ世話」といったところでしょうか。
確かに不必要だと思われる世話を焼かれることをうっとおしいと思う時はあるでしょうし、他者に気遣いしているのではなく世話焼きであることを周囲に喧伝して自己評価を高めるために行うような人もいます。
また他者に世話を焼いて助言することは残念ながら多くの場合役に立ちません。相手の能力が高ければ役に立つ助言とはなりませんし、相手の能力が同等であれば効果的な助言は難しいものです。そして相手の能力が低ければそもそも助言の意味を理解できない可能性があります。
個人的にはこちらを気遣ってくれることは嬉しいものですし、気遣いができる人は好きです。そのような人のお世話であれば”余計”なものとはまったく思わないのですが、世話を焼かれること自体が嫌いな人もいますのでなんとも難しいものです。
つまるところ良いお世話と余計なお世話を分けるのは内容そのものではなく、双方の気遣いの有無に拠るのでしょう。相手の気遣いを感じなければそれは余計なものですし、こちらが相手の気遣いに感謝できなければやはりそれは余計なものに感じられてしまいます。
まあ程度問題ではありますが、これらの理由から個人間での世話焼きはあまり良い結果をもたらしにくいものです。信頼関係が構築されており互いをよく知っている間柄以外では世話を焼かないほうが正しいことかもしれません。少し寂しい話ではありますが。
しかしこれがチームや組織になると話は別です。集団における「余計なお世話」というのはヒューマンエラーを防止して組織が健全に動くため不可欠な要素となります。
岡目八目・フレッシュアイ
自分のことは自分が一番よく分かっている、というような表現は物語でよく用いられますが、これは幻想です。自身の身体についても怪しいものですが、周囲環境を含めた状況であれば人はなおさら正確に認識することができないものです。事の当事者よりも第三者のほうが情勢や利害得失などを正しく判断できることを意味する岡目八目と言う言葉があるように、人は極めて簡単に思い込みや視野狭窄に陥ります。
チームが一丸となって目的に取り組むことは良いことです。がっちりと連携の取れたチームはただの個人の集合ではなく、即座に反応し、即座に応答する、まるで一個の生物かのように素早く優れた活動をすることができます。
しかしその状態は時に危険であることを認識しなければいけません。一個の生物の様であることは簡単に思い込みや視野狭窄に陥るということです。また得てしてこのような優れたチームは優れているがゆえに他所からの助言を余計なお世話と考えてしまいがちです。なにせチームは助言者よりも間違いなく優れているのですから。
優れたチームは最悪の場合その優れた機能を全力で発揮して悪い方向へ全力疾走してしまうこともあります。
そうならないために必要不可欠となるのが、別に優れているわけではない普通の人からのおせっかい、岡目八目からの助言、すなわち「余計なお世話」を受け入れる風土です。もちろんこの助言がチーム内からもたらされるものであっても同様です。
異なる見解を拒絶するのではなく受け入れる姿勢こそが思い込みや視野狭窄から抜け出す唯一のクモの糸です。余計なお世話は決して”余計”ではなく、今進めていることは本当に正しいことか、間違えた方向に突き進んでいないかを見直すのに役立つ「良いお世話」になるのです。
よく物語では[普通のチーム]が行き詰っているところに[優れたキャラクター]が現れて解決方法を指摘するというシーンがあります。刑事物や医療物で多く見られるでしょう。これは物語的に分かりやすい演出であり、分かりやすいので多用されていますが、実際は[優れたチーム]に[普通の人物]が指摘する場合でも役に立ちます。
後から来た人のほうが物事がよく見えて良い判断を下しやすいことをヒューマンファクターの用語ではフレッシュアイ(新鮮な目線)と言います。つまり岡目八目のことです。たとえどれだけ優れたチームであったとしても、普通の人の普通の助言を邪険にすべきではないのです。
アサーティブに行きましょう
とはいえ余計なお世話を受け入れるのは難しいものです。どうしても感情的に許容しがたいものですし、それが優れた人や優れたチームであればなおさらです。
よって必要になるのはアサーティブコミュニケーションです。助言をする側は余計なお世話と捉えられないよう相手のメンツを慮って丁寧な表現を心掛ける必要があり、受けた側は謙虚に相手の言葉を受け止める努力が必要です。
感情を一度横に置いて意識を理屈に寄せるには適切な訓練と少しの努力、そしてそれを許容する組織風土が不可欠です。余計なお世話を”余計”なままとせず活用するには個人の力に頼るのではなく組織として取り組まなければいけません。