忘れん坊の外部記憶域

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両論併記は陰謀論の温床か、それとも予防か

 両論併記に関する昨日の記事の続き。

 両論併記に対して否定的な見解の一つとして、次のような言説も存在します。

「両論併記によって陰謀論が広まってしまう危険があるため、両論併記は避けるべきだ」

 これについても私は否定的な見解です。むしろ逆に、両論併記をせずに誤った情報を隠すからこそ陰謀論が伸張するのではないかと疑っています。

 

陰謀論に染まるキッカケ

 具体的な事実関係が明確であり実際に誰かしらの策謀が関与しているのであればそれはただの陰謀です。

 そういった根拠や物証もなく「きっと誰かしらの謀略が関与しているに違いない」と想像で決め付けることを陰謀論と言います。

 陰謀はこの世に実在するものです。世の中は様々な人が持つ無数の思惑が絡み合って動いているものであり、その思惑が表沙汰になっている策謀もあればベールの裏に隠れている陰謀もあります。

 それに対してそのベールの裏をベールを捲ることなく想像によって語るのが陰謀論です。そのため陰謀論は極稀に真実を掘り当てる可能性があるかもしれませんが、大抵は事実と根拠に基づかない辻褄合わせに終始した荒唐無稽で非実在的な論に成り果てます。

 

 陰謀論で展開される物語の多くは『主流メディアや識者が論じていない、権力者が公にしていない、隠された物語』です。陰謀は陰に潜んでこそ陰謀足り得ます。

 そして陰謀論に染まる端緒の多くはその隠された真実を見つけたという感動と興奮によるものです。ほとんどの人が語っていない真実の物語を見つけた、この世に隠された秘密を知った、権力者や実力者がひた隠しにしている世界を捉えた、そう思い込んだ時の衝撃と謎解き的な娯楽性が陰謀論の訴求力と言えるでしょう。

 つまり、陰謀論は理屈からして

「本には書いていないけど、実は・・・」

「テレビではこう言っているけど、実は・・・」

「政治家は隠しているけど、実は・・・」

といったような『隠された物語の発見』を経る必要があります。

 

 よって両論併記によって陰謀論が拡散するというのは、絶対ありえないとまでは言えないですが多くの場合で誤解だと考えます。少なくともそういった調査データは見たことがありませんし、陰謀論に染まる理屈としては説明が付きにくいのではないでしょうか。推定に過ぎませんが、『テレビで放送されていたから陰謀論に染まったという人』よりは『テレビでは放送されていない真実を見つけたと誤解して陰謀論に染まる人』のほうが比率としては高いのではないかと考えます。

 

両論併記と陰謀論

 確かにメディアが誤った等価関係に配慮せず安易に陰謀論を垂れ流すことは不適切極まりないとは思います。それは陰謀論への間口を広げるだけの悪行です。

 しかし適切な論と陰謀論を両論併記して「こちらは誤った情報です」と流す分には、むしろ陰謀論に染まることへの予防として役立つものだと考えます。メインストリームメディアから隠されていることが陰謀論の入り口となってしまう以上、隠さず詳らかに開示してしまったほうが効果的でしょう。

 つまり、少し過言だとは思いますが、両論併記によって陰謀論が拡散するというよりもむしろその逆、両論併記をせずに片側の意見だけを提供しているからこそ陰謀論者が増えるとまで言えるかもしれません。

 

 何よりも、あえて両論併記をせずに陰謀論は開示しないとすると、メディアが情報を隠しているという陰謀が存在してしまうことになります。これは残念ながら陰謀論者が陰謀論にはまり込むための燃料を投下しているようなものになりかねません。

「我々が知っているこの情報がテレビでは放送されない、こんなに我々の間では知られている情報なのに。やっぱり政府や権力者によってこの情報は隠されているんだ!」

 こういった発想に繋がりかねないため、私はやはり陰謀論も両論併記をして、その上でその不正確さに言及することが必要だと考えます。

 

結言

 陰謀論に対する広報戦略としてはNASAのやり方が最も適切だと思っています。

 かの有名なアポロ計画陰謀論に対してNASAはその言説や懐疑論を頭ごなしに否定するのではなく、懇切丁寧に情報を開示して万人に見えるやり方で反論を行っています。

 このやり方の重要な点は、陰謀論を唱える人々を説得することではなく、その論争を見ている周囲の人々に訴えかけていることです。正直言って陰謀論を信じ込んでしまった人の思考を変えるのは難しいものです。そこに直接アプローチするのではなく、それよりも陰謀論が拡散しないよう事前に周囲の理解を得ることこそが陰謀論が拡散しないようにするための最適な方法です。

 

 下手に隠さない、むしろ両論併記によってスポットライトを当てて陰謀論の不正確な部分を目立たせる。これこそが陰謀論に対する対処療法として望ましいのではないかと、そう考えます。