陰謀論に対する私の考え方は、個人の趣味の範囲であれば別に目くじらを立てることは無いが、他者に押し付けるべきではない、です。
陰謀論に対する考え方
福澤翁が述べるように、人の自由とは天の道理に基づき人の情に従い他人の妨げをなさずしてわが一身の自由を達することです。他人に迷惑を掛けたり他人の自由を阻害するような行いをすることは決して自由ではありません。
自由とわがままとの界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。例えば自分の金銀を費やしてなすことなれば、たとい酒色に耽り放蕩を尽くすも自由自在なるべきに似たれども、けっして然らず、一人の放蕩は諸人の手本となり、ついに世間の風俗を乱りて人の教えに妨げをなすゆえに、その費やすところの金銀はその人のものたりとも、その罪許すべからず。
引用元:学問のすすめ 序文
陰謀論も同様、個人が何をどう考えるかまでは自由ですし、自身が行動を決めるための基底に何を用いたって人の迷惑にならない範囲であれば自由です。
しかし他者にそれを押し付けたり他者の考えを否定したりすることは自由ではありません。よって私は陰謀論そのものを否定したいのではなく、陰謀論を行使して他者の自由を阻害する人に反対したいと思っています。
陰謀論自体は人間の性質としてやむを得ないところがあります。物事を事実ではなく時系列で繋げてしまうバイアスが人間にはあり、また偶発性を排除したがる本能的な思考回路が存在する以上、大なり小なりの陰謀論に染まるのは避け難いものです。
つまり人の脳にはちょっとした欠陥があるということです。「Aの後にBが起きた」というただの偶然を因果関係へとすり替えてしまい、「AによってBが起きた」と勘違いしてしまうようなバグが存在します。これは相当に気を付けなければ発生する自然な思考回路である以上、陰謀論は誰でも染まり得るものです。
特に政治経済の世界は実際の陰謀が渦巻く隠された部分が多く存在する世界であり、そのベールの裏を想像して辻褄を合わせることには推理小説のような面白さが存在します。一度ハマってしまうとなかなか抜け出しがたい、さらに言えば物事をしっかりと考える真面目な人のほうが引っ掛かりやすい、そんな厄介で迷惑な娯楽が陰謀論と言えますし、娯楽で済まなくなってしまう人がいることが一番の問題でもあります。
以上より、「陰謀論は避けにくい、個人で楽しめ、人に迷惑を掛けるな」が私のスタンスです。よって個々の陰謀論をあげつらうようなことはあまりしませんし、それを個人の範疇で楽しんでいるのであれば気にしません。地球は平面であってもいいですし、飛行機雲は体に害のある化学物質でもいいですし、人類は月に行っていなくてもいいです。「ああ、貴方はそう思うのですね」で終わりです。
まあ、「ある出来事に邪悪な集団の陰謀が関与している」と考えるのが陰謀論の定義である以上、その「邪悪な集団」とやらと戦うために仲間が必要であり、世界中の人々に真実を伝えなければならない、という使命感が発生しやすいのがちょっと面倒ではありますし、そのために他人へ考えを押し付けたがるようになるのが困ったものではありますが、とにかくそういうのは個人の思考実験的に楽しんでさえくれれば構いません。
人口削減論は無理がないかな?
いや、でも、否定しないと言っておいてなんですが、一つだけツッコみたいことがありまして。
各種の陰謀論を遠めに見学していて思うのですが、多くの陰謀論が辿り着く定型のひとつに人口削減論があります。
これは流石に無理がないですか?
ワクチンやら電磁波やら5Gやらケムトレイルやらフッ化物添加やらが辿り着くのは、ロスチャイルドさん家やらフリーメーソンやらイルミナティやら何たら委員会やらディープステートやらを代表とする、「世界を支配する邪悪な少数の人々による人口の削減」という結論なのですが・・・いや、減ってへんやん、と思ってしまいます。
だって増えてるじゃないですか、世界の人口。
もし本当にそんな陰謀が存在しているのだとしても人口削減の効果が出ていないということですし、効果が出ていないということはその程度の影響力ということで、「別に世界を支配するような力は無かったんだね」という結論になると思うわけで。そんな大したことない支配者なんて恐れなくてもいいと思います、はい。
そもそも本気で人口抑制を図るのであれば先進国ではなく途上国でやりますよね。だって統計的に先進国の人口はどこも少子化で増えていないのですから、先進国でやってもあまり意味がありません。
人口が多いことが地球環境を破壊しており、それを避けて長期的に繁栄するために人口を抑制する必要があると考えているのであれば、それはなんというか善悪は別として真面目な支配者であって「邪悪」という前提が崩れそうな気がしますし、やっぱり殺人的な方法論を取る必然性は無いと考えます。
あと、もしも私がそういった邪悪な支配者で、民衆を家畜のように考えているのだとしたら、私だったら増やします。だって経済の論理から考えて被支配者が多ければ多いほど富を増やせるのですから。なぜわざわざ支配力を下げたがるのか不思議でなりません。減らさなければ支配できないのだとしたら、やっぱり恐れるような巨大な存在ではないですし。たとえそれによって地球が駄目になるのだとしても最後まで快適に生き残れるのは富を持っている邪悪な支配者たちであって、そこまで不利なトレードでもないでしょう。
いや、というよりも本当に私がやるならワクチンや電磁波ではやらないですね、新しいモノでやったら怪しいだけですので、やるなら昔から存在する風邪薬とかでやりますし、お米や小麦でやります。だってそのほうがどう考えても効率的で合理的ですもの。
そんなわけで、人口削減論は「そうやるべき合理性」が見られず、見掛けるだけで気持ちがモヤモヤしてしまうので、なんというか控えめにやっていただけると助かります。
余談
ここ数年、蕎麦を食べた数時間後に猛烈な腹痛に襲われるのですが、これは邪悪な集団による陰謀だと妄想して乗り切るようにしようかと、先ほどお手洗いで腹痛に耐えながら考えていました。
夕飯に蕎麦を食べると腹痛で深夜に目が覚めます。こんなにお腹が痛いのは誰か悪い人が蕎麦に何か悪いものを入れているせいだと、そう思えば・・・いや、蕎麦が好きなので、蕎麦アレルギーの検査とか、その、怖いです。饅頭怖い。