忘れん坊の外部記憶域

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情報を再生産することの意味と価値

 世の中には情報が溢れています。完全にオリジナルな情報は数少なく、多くは誰かの研究や見解、取材や撮影されたものから引用・追記したものです。そして元となった研究や見解も同様に先人のものを下敷きとしており、どこまでがオリジナルであるかを線引くのは難しくあります。私がブログで書き連ねている様々な意見においても同様の意見を持っている人が必ずどこかに居て、すでにどこかしらで発表されていることでしょう。

情報の再生産

 すでに存在する情報を別途発信することを情報の再生産と名付けてみます。ヘタをすると車輪の再発明に陥りかねないこの行為にはどのような意味と価値があるのでしょう。

 情報の再生産にはいくつかのパターンがあります。

  • 既存情報を同一形式で発信する
  • 既存情報を別形式で発信する
  • 既存情報に改編を加えて発信する

 それぞれのパターンについて考察してみましょう。

既存情報を同一形式で発信する

 誰かのブログ記事をそのまま持ってきて記事を書く、誰かの本をそのまま持ってきて本を出版するといった行為で、これは情報の再生産というよりはもはや剽窃、盗作、パクリです。既存の情報に何ら付加価値が追加されておらず、情報源を攪乱し著作者の権限を侵害するもののため戒めるべき情報発信です。この情報の再生産には意味が無く、価値が無いどころかマイナスでしょう。

既存情報を別形式で発信する

 ジャーナリストによって撮影された情報を新聞記事にする、本の情報を整理してYoutubeやブログで紹介するといった行為で、適切な引用を行っていれば剽窃には該当しません。付加価値としては情報の拡散や受信方法の多様化があります。本は読まないけれどもYoutubeは見る、新聞は読まないけれどもテレビは見る、というように複数情報源を追わない人にも情報を拡散することができます。但し適切な引用でなければ剽窃に成り得ること、また元情報が誤っていた場合にデマ情報の拡散に協力してしまうことが注意点としてあります。よってこの情報の再生産は玉石混交、良い面も悪い面もあります。

既存情報に改編を加えて発信する

 本の内容にあらすじや感想といった追加情報を加えて紹介する、複雑な情報を簡潔に編集して提示する、他者の知見に新たな切り口や見解を付け加えて発信するような行為で、情報の再生産としては最も望ましいやり方です。情報には付加価値が与えられており、新たな意味が付与されて車輪の再発明となることを避けることができています。そもそも学問や研究は巨人の肩の上であり、この情報の再生産と同様のプロセスを経ているものです。

情報の再生産の意味と価値

 拡散・編集・追記のいずれかによって情報に新たな意味が付与されない限り情報の再生産に価値はありません。場合によってはマイナスで害悪です。逆に言えばそれらを伴う情報の再生産であれば意味があるということです。もちろん著作権者の権利侵害や剽窃・盗作などはもっての外であり避けなければいけませんが、すでに世界に存在する情報を別の形で新しくして発信することは決して無駄ではありません。

 どれだけ良い情報だろうとそれが誰かに受信されなければ意味がありません。古代ギリシャや中世イスラム世界の英知は戦争や宗教によって多くが離散してしまいました。残った情報は写本や伝聞、学者の研究といった情報の再生産によって受け継がれてきたのです。

余談

 これだけ世の中に情報が溢れていていくらでもアクセスできるのだから私が何かを記事にして発信する必要は無いのではないかと私も元々は思っていました。しかし情報の再生産について考えてみると、誰かが情報を追加工して発信することは無駄ではなくむしろ率先して行うべきではないかと思い直しました。もちろんただ情報を横流しするだけではほぼ価値が無いどころか盗作にしかなりませんので、どのように編集してどう情報を追加するのを考えなければいけません。しかしむしろ情報が溢れている時代だからこそ良い情報を拡散する努力が必要だと考えます。

 ただデマや陰謀論が広がる危険性が高まっている時代とも言えそうです。個人的には一概に陰謀論と否定するのは好きではありませんが、こればかりは何とも難しいところです。