恐らく、人によるとしか言えない。
今回は結論の無いふわふわした話をしましょう。
社会の高度化と人間の連動
先進国の基本トレンドとして少子高齢化があります。
少子高齢化については様々な切り口で理由や原因が説明されてはいますが、どのような因果関係があるにせよ少なくとも社会の高度化と少子高齢化には相関があると言っていいでしょう。
そして社会は概ね一方通行で高度化していきます。時に時計の針が巻き戻ることはあるものの、高度化がトレンドです。
そのため、世界は全体を平均すれば次第に高度に発展していき、その結果として国連が予測するように人口はピークを迎えて世界的に減少していくものと思われます。
人口減少は必然的に社会問題となることから、今後の世界では労働力を機械・コンピュータ・AIが代替する必要があることが予測されていますし、実際にそのような研究や実証は次々と進められています。
ただ、そのような未来における人間の在り方は、思想が大きく二つに分かれているような気がします。
一つは低技能化です。高度な判断や意思決定、観測や測定は機械やAIに任せて、人はオペレータとしてただ機械やAIを監視することが仕事になる、そんな未来予想図があります。
もう一つは高技能化です。機械やAIでは難しい領域の仕事をこなすため、より高度で専門的な技能を持った人が必要になる、そういった予測です。
これらは共存できる発想ではあります。一部の高技能な人間が機械やAIを生み出し、それ以外の大多数は低技能な労働者として機械やAIが働いている様を監視だけする、そういった環境はあり得るでしょう。
このうち、社会はどちらを目指すことが幸せなのでしょう。
技術か、魔法か
SF小説の大家が「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」と主張したように、現代の技術は原理を分かっていない人からすれば魔法のようなものです。スマートフォン一つとっても材料や加工、部品や回路、アプリやOSなど、ありとあらゆる側面の原理を理解し尽くしている人はまずほとんどいないでしょう。なぜか画面が光り、触れば反応し、遠くの人と連絡ができる、そんな不思議な魔法の道具のようなものです。
そして大多数がそのような状態でも社会としては問題なく回ります。むしろ具体的な原理原則など理解している必要はまったくありません。作る側と使う側は分業が可能であり、むしろ分業していたほうが効率的ですらあります。
そもそも現時点で作る側の高技能者と使う側の低技能者はすでに明確に分離されていると言えるでしょう。その流れは今後も明確に分離していくものと思われます。
私個人としては技術者的な目線と品質管理者的な目線を持っているため、良し悪しについては判断が難しいところです。
技術者としてはそのような分離は特に問題ないと思っています。高技能者はそれがある意味で飯のタネになりますし、技能を身に着けることはそもそも基本的に苦行ではありますので多くの人々にそれが必要なくなる世の中は全体として幸福が増す社会になると考えます。
品質管理者としては、少し不安です。原理原則を知らない状態とは、定常状態であれば特に問題ありませんが緊急事態への対処ができなくなることを意味しているためです。スマートフォン程度であれば原理を知らなくても問題ありませんが、大型の施設や設備のオペレーターが何も知らない状態になりかねない社会には少し不安を覚えます。
結言
しかしいずれにせよ低技能と高技能の分離は今後も進んでいくことになると思います。そのどちらに比重を置くべきか、そして人々はどちらを選ぶべきか、それはやはりそれぞれの人が自らの好みに合わせて選択していけばいいのでしょう。