忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

今は「俺がした苦労をお前もしろ」が効果的な時代ではない

 まあ、記事タイトルで言いたいことは終わりなのですが、冗長であることを承知しつつも理由を述べていきます。

 

ビジネス環境の変化

 かつての手工業の時代は、現代と比すれば変化に乏しい時代でした。

 それは同時に技術の陳腐化が遅かったことを意味しています。

 そのような時代では身に付けた技能を生涯用い続けることができることから、後継者が先達と”同じ苦労”をして”同じ技能”を身につけることには意味があります。むしろ同じ苦労をすることは技術を受け継ぐための伝承過程において不可欠なプロセスであり、推奨されるものですらあったかと思われます。

 

 しかしながら、現代は世界的な人口増加やグローバル化、技術革新の加速や複雑化など様々な複合的要因により、技術の陳腐化する速度が年々高まっています。

 もちろん今でも伝統工芸や職人などそこまで技術変化の速度が速くない職種・業界はありますが、多くの仕事で着実に技術変化の加速度が増しています。

 このような時代では、後継者が先達と”同じ苦労”をして”同じ技能”を身に付けることにはあまり意味がありません。世代交代をするまでの間、場合によっては世代交代を待たずに個人の間ですら技術が陳腐化してしまうほど変化に加速している時代に、それでは遅すぎます。どこもかしこも加速度的に技術が発展し進歩し続けている現代で、先達と同じ技術を身に付けた程度では市場競争に勝つことはできません。市場競争は自然界と同様に自然淘汰が働いているため、シェアの独占やニッチの確保等どのような形であれ、市場での競争に負けては生き残ることはできません。

 よって若者には辛い現実ですが、単位時間当たりの技術向上量は先達よりも優れている必要があります。先達が5年で学んだ技術であれば後継者はそれよりも短い期間で学び、5年の間にさらに先へ進んでいなければなりません。そうでなければ技術変化の波に乗り遅れてしまいます。

 

とにかく効率的に

 つまり「俺がした苦労をお前もしろ」がよろしくないのは、なにも人情や倫理の観点ではなく、合理的に考えてそれでは遅すぎるからです。

 現代の技術伝承では「俺がした苦労をお前もしろ」としたスタンスは論外の時代遅れであり、それは無駄です。そうではなく、「俺がした苦労は軽く乗り越えてもらい、より厳しい苦労をしてもらう」必要があります。

 よって現代の技術伝承では、先達が身につけてきた技能を同じ時間を掛けてそのまま伝承するのではなく、先達がパッケージ化して教育することで効率的に学び、短時間で習得させる必要があります。

 簡単に言えば、「俺がした苦労」は後継者が軽く乗り越えられるように準備することこそが適切な技術伝承です。「俺がした苦労をお前もしろ」なんて悠長なことを言っている場合ではありません。

 

結言

 現代社会の市場競争は未踏峰の山へ挑戦する登山家のチームに似たものです。

 山頂へ近づけば近づくほど過酷になっていく中、山頂へアタックを仕掛ける隊は先遣隊と同じ苦労をするのではなく、先遣隊が整備した準備を活用して先遣隊と同じ地点へ辿り着くことが行われます。それはアタックを仕掛ける隊が楽をするためではなく、より過酷な山頂へ向かっていくために余分な労力を割かないことが目的です。

 同様に、先達は後継者がより先へ進めるよう、自らが獣道をかき分けて必死に歩んできた道へ適切な道しるべを設置し、後継者を自らと同じ地点までスムーズに導いてあげる必要があります。