忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

技術伝承を軽んじる組織は必然的に滅びる

 もはやただの愚痴。

 

先日の会話

私「来年度以降、私の業務は誰に引き継げばいいですか?」

上司「残念ながらまだ決まっていない」

私「まだ決まってないんですか。引き継ぐ時間はもうあまり無いのですが」

上司「たとえ決まっても向こうは向こうで引継ぎがあるだろうから、ほとんど引き継ぐ時間は無いと思ったほうがいい」

私「困った話ですね」

上司「仕方がない」

私「目先のタスクよりも技術的な知見を引き継ぎたいので、時間が欲しいのですが」

上司「やむを得ないが、知見に関しては後継者に自ら考えさせて学んでいってもらうしかない」

 

車輪の再発明なんて馬鹿馬鹿しい

 先達と同じ地平に辿り着くまで、後継者が一から勉強して進んでいく。

 これはまさしく私が好まない技術伝承です。

 それはただの車輪の再発明に過ぎません

 

 過去の記事でも書いたように、後継者が先達と”同じ苦労”をして”同じ技能”を身に付けることにはあまり意味がないと私は考えています。

 このような時代では、後継者が先達と”同じ苦労”をして”同じ技能”を身に付けることにはあまり意味がありません。世代交代をするまでの間、場合によっては世代交代を待たずに個人の間ですら技術が陳腐化してしまうほど変化に加速している時代に、それでは遅すぎます。どこもかしこも加速度的に技術が発展し進歩し続けている現代で、先達と同じ技術を身に付けた程度では市場競争に勝つことはできません

 

 現代の技術伝承では「俺がした苦労をお前もしろ」としたスタンスは論外の時代遅れであり、それは無駄です。そうではなく、「俺がした苦労は軽く乗り越えてもらい、より厳しい苦労をしてもらう」必要があります。

 

 後継者は先達の立っているところまでは特に苦労せず速やかに辿り着いてもらう必要があります。そうしなければいつまで経っても同じレベルの人間を再生産するだけになり、個人としても組織としても発展することができないでしょう。

 技術伝承とは人間のコピーを作るために行うものではなくより先へ進むために後継へ託す行為のはずであり、またそうでなければ意味がありません。

 

偶然に頼る組織は必然に滅びる

 後継者の自律と能力に依存した技術伝承は必然的に偶然が支配します。

 

 後継者が先達よりも有能であれば先へ進めることでしょう。

 同程度の能力であれば先達と同じところまでしか進めません。

 不運にも能力が劣っていれば先達と同じところまですら辿り着けず、むしろ後退となります。

 

 これらを繰り返していくと、長い目で見れば平均的な結果となります。

 つまり、ただの停滞です。先へ進むことはありません。

 そして停滞している組織が生き残れるほど市場は甘くありません。

 よって技術伝承を疎かにして車輪の再発明を行うような組織はいずれ必ず市場競争に敗れます。

 

 これは生物と同じです。

 学習能力の無い単純な種は個が滅びようとも一部が残ればよいとする全体での生存戦略を取りますが、そのような戦略において個は容易に息絶えます。

 だからこそ多くの生物は全体だけでなく個としても生存するために危険やリスクを学び回避する手段としての学習能力を有しています。

 組織も同様、個としての生存を図るのであれば学習能力は必須です。同じことを繰り返しているだけの組織では自然淘汰の波から逃れることはできません。学習能力を自ら仕組みとして構築した組織だけが生き残ることができます。

 

結言

 どうにも弊社は上のほうが技術伝承を甘くみているので困ったものです。

 まあ愚痴を言っても仕方がないので、要路に情報を流して仕組みを徐々に構築していくことにしましょう。

 

 

余談

 私は技術屋として様々なメーカーと関わっていますが、その中でも「若手がしっかりと学んでいる企業」を信頼しています。

 ベテランが優秀なのは当然のことであり、どれだけ若手の育成に熱心で成果を上げているかが指標です。

 若手が育っているということは、それだけの余力が企業にあること、技術伝承を上層部が疎かにしていないこと、そのための仕組みがちゃんと整備されていること、よって今後の成長にも期待ができること、そういったことが分かるためです。