忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

若者の成長を喜ぶ大人でありたい

 今どきの若者は云々・・・と言いながらロクに指導してあげていない大人、オリンピックでメダルを取るような優れた若者に妬みを言う大人、若くして成功した起業家などを侮ったり馬鹿にする大人。

 そのような感情を持つことは理解できないことではありませんが、そういうのはあまりかっこよくありませんですし合理的でもないと思います。器を大きく持つべきだというような上から目線の話ではなく、理屈的に考えてみましょう。

若者が育ってくれないと困る!

 私は職場の後輩から間違いなくうっとおしいと思われていることを確信していますが、無理やりにでも教育時間を捻出して勉強をさせています。時間を作っては作成している若手向けに噛み砕いた教育資料を使っての詰め込み教育です。半分は後で説明するように若手のためなのですが、残り半分は組織や自分のためです。若手には育ってもらわないと困るのです。

 若手が育ってくれないと先輩が今やっている仕事を任せることができません。そうなると先輩はいつまでも同じ仕事を続けなければならず、発展的な仕事をする時間を作ることができません。それは足踏みであり停滞です。先輩や上司は仕組みを変えたり効率を改善するような発展的な仕事こそしなければいけません。そのために若手よりも高い給料をもらっているのですから。つまり若手の成長は組織の成長へと直接的に繋がるのです。

 そこまで仕事熱心でない人でも、若手が仕事をできるようになれば自分は空き時間を作ってのんびりすることができます。若手を育てることは組織や先輩にとっては損のない素敵なことなのです。というか育ってくれないと本当に困るので、伸びてくれることを祈るばかりです。ジャックと豆の木までの贅沢は言いませんが、日立の木くらい伸びてくれると嬉しいです。期待が重すぎるなー。

良いベテランと悪いベテラン

 おそらくどの職場でも共通だと思いますが、職場で中堅よりも上のベテランと呼ばれる層には2種類いると思います。何を聞いても答えてくれる生き字引で管理職の人間からも頼られている長老のようなスペシャリストたるベテランと、表現は悪いのですが大した仕事も任されずに若者や中堅から軽んじられているベテランです。後者をベテランと呼んでいいのかは怪しいところですが、他に表現が思いつきませんでした。

 両者を分けるのは残酷なまでに明確な能力格差です。どちらもベテランであり年数は重ねてきていますが、前者は常日頃から能力向上を図り高いレベルの経験を積み重ねてきたのに対して、後者は軽い仕事のみをこなしてきたため積み重ねてきた経験に重みがありません。この差を生むのが階段の最初、若者時代です。若いうちから頑張って経験のレベルを上げていかなければ高みに昇ることができずスペシャリストのベテランにはなれないのです。

 若者如きと思う人こそ若者に侮られるのは辛いはずです。だからこそ若者にはそんな思いを将来させないように、若いうちから色々と教えてあげて経験を積ませてあげるべきです。もちろん追いついてくる若手から逃げるように自らも階段を上り続けなければいけませんが、それこそが前者のベテランへと至る道なので仕方ありませんね。

 若者を成長させなければ自分のほうが常に高い位置にいるから安心、と思ってはいけませんよ?若者は周囲も見ていますので、自分とベテランの能力差ではなくベテラン同士の能力差で判断します。つまり若者が優秀であろうとなかろうとベテランの立ち位置はバレてしまいます。

老後を考えよう

 将来の年金や日本のインフラを支えるのは若者です。若者が活躍してしっかり納税してくれるということは年長者にとって悪いことではないはずです。むしろ老後のために若者の活躍を喜ぶほうが合理的だと思います。

最後に

 最後に感情論として、個人的には若者が活躍しているのを見ると「自分ももっと頑張ろう」と思います。別に若者を妬んでも何が手に入るわけでもなし、自らも一所懸命に頑張ろうと思ったほうが健全です。

 またジェンダー的にはアウトな表現ですが、男は虚勢を張ってでもかっこつけているほうがまだマシです、若者を妬むようなかっこ悪い姿はダサいです。ガキのような考えですが、男にとって「かっこよさ」は一つの立派な尺度だと思うんです。うーん、令和の時代に男らしさを語るのはアレですね、グレー寄りのアウトです。いや、しかしながら、何でも知っている長老が私の職場にも居ますが、ああいうおじいちゃんが憧れなんです。技術職のスペシャリストは本当にかっこいいので私もああなりたいものです。