忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

ベテランが若手に配慮してあげましょう

 「あれ、今日は道が空いているな、どうしてだろ。まあ通勤が楽でいいけど。あ、世間は祝日か・・・」と察する瞬間が辛いです。私は仕事が好きですが、お休みだって当然好きなのです。休みが嫌いな人なんてこの世に居るだろうか、いや居ない(反語)。いや、居るかも・・・自信が無くなってきました。というか居た、居ました。嫁さんと年頃の娘さんに邪険にされるから家にあまり居たくない、職場の方が良い、というおじさんがうちの職場に居ました。うへぇ、辛い。

 さて、勤労感謝の日にちなんで仕事の話でも書こうと思います。記事の投稿日は勤労感謝の日に間に合っていませんが。

若手のメンタルがピンチ

 テレワークによる対面コミュニケーション不足やコロナ禍によるコミュニティの未形成、親子や学校での上下的人間関係の変化、SNSを代表とする選択的コミュニケーションの一般化、不安定な社会経済による将来への不安といった様々な要因によって、若手のメンタリティはあまり頑丈ではありません。それは鬱や離職といった統計にも現れています。

 嫌な話ですが、大人は打たれ過ぎてマヒした鈍感力を持っていますので世の中の理不尽に相対することができます。しかし今時の社会情勢からあまり打たれてこなかった若手のメンタルではそのような世の中の理不尽に相対することができません。

 若手のメンタルが弱いのが悪い、ということではまったくありません。当然ながら若手に責任は無く、そのような社会を作り若者を教育をしてきた大人達の責任です。若手を責めるべきではありません。

 とはいえ世の中とは理不尽が徒党を組んで襲い掛かってくる魑魅魍魎の世界です。そんな世の中を即座に変えることは出来ない以上、若手が世の中に適応できるように大人が協力してあげなければいけません。「会社は学校じゃない」というのはその通りなのですが、それを若手に理解できるよう教えてこなかった社会全体の責任なのですから。

 なぜ若手のメンタルが弱いかということは様々な識者の方々が述べていますので格別私から語ることはありません。

 また、若手と十把一絡げに語ってはいますがもちろんその内実は人それぞれであり、あまり括ってしまうのも良くないかもしれません。まあ、そこは大目に見てください。

ベテランが合わせる

 よく若手向けの記事や情報などで、「社会とはこういうものだ」「これに適応しなければいけない」というものを見かけます。私もそういう記事をいくつか書いています。書いている側の気持ちとしては若手にはなんとか社会と折り合いを付けて世の中に適応して頑張って生き抜いて欲しいという気持ちが主ですが、適応できるかは若手側の態度にも大きく依存するからです。学ぶ気が無い人に何を教えても効果が上がらないように、適応しようという気持ちをまずは持ってもらわないと大人側からしてもどうにも対応しようがありません。

 しかし適応できないのは若手だけの問題ではもちろんありません。そもそもの受け手である社会側・大人側でも受け取り方を工夫する必要があります。むしろそちらに比重を強く置くべきでしょう。

 若手はまだ右と左が分からないヒヨコのようなものです。そのような子たちにあれをしろこれをしろと強制したって出来る子は稀です。かつてのように子どもが多い時代であればそのような選別で生き残った子だけを育てればいいのかもしれませんが、現代は少子高齢化であり数少ない若手を潰さないよう確実に育てることを求められています。よって若手を型にはめ込むのではなく、若手に合わせて型側が柔軟に調整する必要があるのです。

 世の中をまだ分かっていない若手と、世の中を理解しているベテランの大人、どちらが要領良く調整できるかと言えばそれは言うまでも無くベテランです。昔のように若手を放置しても育つなんてことは夢見ず、可愛い若手のため、ベテランの人々は彼らと一緒に汗水流して努力しなければなりません。

 特にメンタルのトラブルに関してはホウレンソウが難しいものです、上司や先輩がストレッサーの可能性が高いからです。こればかりは若手のホウレンソウに期待せず、上が気付いてあげるしかありません。

余談1

 若手の教育を担当する際は一日の半分くらいを教育に費やしています。直接教える時間はそれほどでもないのですが、若手のレベルや理解度に合わせて教材を作り直したり教え方を適宜調整したりするため、時間がいくらあっても足りません。ベテランは仕事のプロではありますが別に教育の専門家ではないのでなかなかしんどいです・・・とはいえ若手の独力に頼るわけにもいかないので、頑張るしかないのですが。

余談2

 「今時の若者」を語る度、歳を取ったものだと実感します・・・