宗教・文化・風習・職業、その他様々ですが、社会で何かしらの問題が起きた際には必ずそれを禁止しようとする見解が広まります。
もちろん悪いものをそのまま維持することは不適切なことです。誰もがより良く生きることができるよう社会を発展させたいと思う気持ちは社会的動物である人間のある種の本能であり、悪いものを減らして良いもので社会を満たしたいと願う気持ちは決して否定できるものではありません。
ただ、悪いものを禁止すれば世界がより良くなるかと言えばそこまで単純な話ではなく、一度足を止めて検証する必要があると考えます。
表面的な規制は意味を成さない
人によっては醜悪な表現、人々を不幸にする宗教団体、金銭的問題を引き起こす職業、そういった悪いものを規制をすれば確かに社会の表面上は見えなくなります。
しかしながら、アメリカの禁酒法を典型的な事例として、社会問題を引き起こしている何かしらの”悪いもの”を規制したとしてもそれは根本対策にはなりません。それそのものが断たれるわけではありませんので、表面上は見えなくなったとしても問題は地下に潜るだけです。そうなるとむしろ根本的な対策が困難になりかねません。
また、表面的な存在だけを消すことは陰謀論と同様の危険性が生じます。
陰謀論の入り口は『メディアや世間では取り上げられていない秘密の物語』と接触することによる感動や衝撃といった情動です。世界の裏側、隠された秘密を知ったと感じた時の興奮こそが陰謀論へのめり込んでいく原動力となります。それが例え誤認・誤解・誤情報だとしても脳内快楽物質がその疑念を塗り潰してしまうわけです。
日本で新興宗教にハマる人はこれが類似点です。他国の新興宗教はメインストリームの宗教に対するアンチや反発が主流であるのに対して、日本の新興宗教は既存宗教の傍流ではなく各種宗教のごちゃ混ぜになったものが多いと言えます。そんな適当な新興宗教にハマる理由は簡単で、宗教教育が為されていないためです。宗教を悪いものとして社会の表面上から消し去った結果、人々が宗教を学ぶ機会が失われてしまい、知らないからこそ良い悪いの判断ができずに適当なものに騙されてしまいます。これは宗教に限った話ではなく、他の悪いものに熱中する人も同様です。
知らなければ騙されるのは必然です。無菌室で育った人間を外界に出すことは危険なように、免疫がなければ抵抗することはできません。悪いものを表面的に消そうとする人は同様の愚を犯しかねないことを注意する必要があります。
恥知らずの量産
世の中には良いものと悪いものがあります。
それは相対的なもので、良いものがあるから悪いものがあり、悪いものがあるから良いものがあります。
そのため悪いものを消し去ると残ったものが良いものかどうかを人は判断することができなくなります。良いものだけで育った人はそれが良いかどうかすら知ることはできません。
よって重要なのは良いものと悪いものを目にしてそれでも良いものを選ぶことを教えることです。つまりは恥の概念です。
良いものと悪いものを目前にして、悪いものを選ぶことは恥です。それを教えずに悪いものを表面的に消し去ることは、善悪の判断がつかない人、読んで字の如くの恥知らずを世間に量産しかねません。それはあまり良い社会とは言えないと私は考えます。
結言
悪いものを表面的に社会から排除しようとして根源である悪い事象の元を断たずにただ見えないようにする。それは『臭い物に蓋をする』行為に他なりません。
それがあまり適切ではないからこそ昔からの成句として残っていますので、何かしらを禁止したいと思った時には留意すべき言葉かと思います。
悪いものを残せ、というわけではありません。社会をより良くするために悪いものは減らしていくことが必要です。ただ、私たちがすべきは根本的な対策と恥の教育であり、臭い物に蓋をすることではありません。