忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

暴力の行使に反対するか、暴力の存在を否定するか

 正直なところあまり良い話題ではないのですが、暴力に関して少しばかり私見を述べていきます。

 本記事では暴力を物理的な力とは限定せず、社会的や精神的、経済的なものも含めた他者の身体・精神・財産に対する強制力と定義します。

 

行使の否定と存在の否定

 暴力に対して否定的な言説には大きく分けて2種類あります。

 一つはこの世に暴力が存在することは認めつつ、物事の解決手段として暴力を行使することに反対する考えです。これを暴力反対とします。

 一つはこの世に暴力が存在することを承認せず、暴力の存在自体を抹消することを求める考えです。これを暴力否定とします。

 国際関係論で言えば前者はリアリズム(現実主義)に属しており、後者はリベラリズム(理想的協調主義)に属しています。

 

 これらの考え方はどちらも暴力へ否定的な言説を取ることから表面上は区分が分かり難いものですが、その内実は相当に違いがあります。

 リアリズムによる暴力反対は消極的に暴力が存在することを認めており、その行使に対する制限や抑制を課題としています。それに対してリベラリズムによる暴力否定は積極的に暴力を排除することを求めており、暴力の行使ではなくその存在自体を問題視しています。表面的な言説は似通っているものの、求めている結果は大きく異なるのです。

 一例として、ある国家が他国や自国民に対して軍事力を行使した場合、暴力反対と暴力否定のどちらの立場であってもその行為を批難する言説を取りますが、しかしながらそれによって至る結論が大きく異なります。

[暴力反対(現実主義)]

暴力が行使されないよう、軍事力(暴力)の均衡と統制を取るべきである。

[暴力否定(理想的協調主義)]

暴力の行使を不可能にするため、軍事力(暴力)を廃棄すべきである。

 また、警察力も人の行動に強制力をもたらすという点で正しく暴力です。ここ数年のアメリカでの事例、BLMの運動を見ると分かりやすく、警察に対する言説がそれぞれの思想で大きく異なるものでした。

[暴力反対(現実主義)]

警察の横暴を防ぐため、採用基準や教育訓練にメスを入れるべきである。

[暴力否定(理想的協調主義)]

警察の横暴を防ぐため、警察予算を削減・打ち切るべきである。

 

暴力を抑止するのも暴力

 私自身は過去の記事でも述べたように暴力反対の思想です。物事を解決するために暴力が乱用されることをまったくもって望みませんが、しかし、暴力の存在は現時点の社会では必要だと考えています。

 確かに理想的には暴力の存在しない世界が望ましいでしょう。それは間違いなくユートピアとして目指すべき一つの社会像です。しかしそれを早急かつドラスティックに実現すべきかと言えば、決してそうは思えません。

 例えば、軍事力を一斉に廃止すれば即座に世界平和が訪れるかと言えば、武器を隠し持っていた人が悪いことをするでしょう。どこかの国がズルをして武器を作るようになればまた元の木阿弥です。それどころかそういったズルを止めるための強制力を世界は失ってしまっていることから、もはや騒乱は止めようがなくなってしまいます。

 警察や法による統治は強制力という点で間違いなく暴力です。では警察や法という強制力が無い社会は安心かと言えば、やはりそうなるとは思えません。

 

 極論、暴力が存在しない社会を実現するためには現在の暴力手段を取り上げるだけでは足りず、人々の心から暴力を用いる意思を全て消し去る必要があります

 しかし、適切な表現ではないと重々承知の上で述べますが、「暴力を使うな」と他者に強要するのは他者の精神に強制力を与えるという点で暴力に近似するものなのです。暴力を無くすために人々の思考を暴力的に改造しようと強制するのは、『戦争を終わらせるための戦争』のような、どうにも落ち着かない感覚を覚えてしまいます。

 もちろん私は「暴力を使うな」と他者に強制することを悪いことだとはまったく思いません。それは暴力を抑止するために必要な暴力です。ただ、だからこそ私は消極的に暴力が存在することを認め、しかしその乱用を戒めることを求める暴力反対の考えを持っています。

 

 暴力否定を「そんなものは夢物語のユートピア思想だ」と否定したいわけではありません。暴力が存在しない社会に向かって進めていくことには全面的に同意です。ただそれを実現するにはドラスティックな変革ではなく、漸進的で現実的な手段が不可欠だと主張したいのです。

 

結言

 どのような食品も食べ過ぎれば体に悪いように、多量に摂取すれば毒になるものが少量であれば薬になるように、何事にも効用と副作用、メリットとデメリットがあります。必要なのはバランスであり、如何にして副作用を低減するかに腐心することが重要だと、そう愚考しています。