最近、以下のような言説を見かけました。どうやら昔からネットに転がっているミームのようです。
「体系的に学んでいないならそれは知識とは言わない」
「ネットで拾ってきた雑学は知識ではない」
いや、まあ、これは概ね真ではあるのですが、必ずしも万人に適用できるほど汎用性が高いわけではないと思うことを述べていきます。
知識とは何か
この手の話をする時に役立つフレームワークとして、いつものようにDIKWピラミッドを援用しましょう。
■データ(Data):
数字や文字など、生の、または整理されていない形式の事実の集まり
■情報(Information):
特定の目的のために測定、視覚化、分析しやすいように処理されたデータ
■知識(Knowledge/Intelligence):
情報として明示されていない関係性、情報をどのように適用するかの理解
■知恵(Wisdom):
知識を行動的に応用したもの
参考:What is the Data Information Knowledge Wisdom Pyramid? | Ontotext
DIKWピラミッドの定義からすれば、知識とは情報に関連性をもたせた状態です。ちなみに引用した図が英語で申し訳ないのですが、情報ネットワークが構築されているこの図が一番視覚的にDIKWピラミッドを理解しやすいので引用しています。
凄く大雑把なたとえ話として「空は青い」という情報があったとします。
それをただ知っているだけでは知識とは言えません。それはただの情報です。
知識とは『情報として明示されていない関係性』を理解することですので、空が青いのは物理現象として光(電磁波)の波動性による周波数特性と粒子性による相互作用によるレイリー散乱が生じているためである、そういった情報を関連付けて理解していなければ「空が青い」ことを知識として理解しているとは言えません。情報は体系的に理解されて初めて知識になります。
また知識とは『情報をどのように適用するかの理解』も含意するため、背景情報や関連性を考慮せずに「空は青い」とだけ記憶していても知識とは言えません。ご存じのように必ずしも「空は青い」わけではなく、赤い時も、黒い時もあるからです。孤立した情報は雑学であり、適切な状況で使えるようになって初めて意味のある知識となります。
よって
「体系的に学んでいないならそれは知識とは言わない」
「ネットで拾ってきた雑学は知識ではない」
は概ね真であり、知識を学ぶ上で重々留意されるべき提言であることには疑いようがありません。
情報を知識に変換する技能
ただ、この手の話の難しいところは個人差があることです。
情報を知識に変換する行為は技能であり、人によって得手不得手や慣れ不慣れがあります。そして知識の体系化・関連付けには訓練が必要であり、正しく学問を修める経験の有無も重要です。
そういった技能や経験の有無は人によって差異があることから、ただネットで拾ってきた情報を雑学的に暗記している人もいれば、拾ってきた情報を自らの知識体系に紐付けて関連性をもたせた知識へと昇華できる人もいます。後者の人であれば映画やドラマを見たりSNSの雑学ポストひとつからでも自身の持つ情報と結び付けて知識を学び取ることができるでしょう。
よって
「体系的に学んでいないならそれは知識とは言わない」
「ネットで拾ってきた雑学は知識ではない」
は警句としてはとても適切だと思うのですが、これが汎用的に使える言説かと言えば必ずしもそうとは言えないと私は考えます。重要なのは得た情報を自らの知識体系に関連付けて取り込む技能を持っているかどうかです。
結言
つまるところ留意すべきは、ネットや書籍で拾ってきた言説をそのまま利活用するのではなく、自らの知識体系に取り入れて知識に昇華してから用いることです。
そして自らの知識体系が不足しているのであれば適切な教育をもって体系だった学問を修めることが必要です。体系化・関連付けは独学では難しい技能であり、学校のお勉強のようにしっかりと理論立てて学ぶ必要があります。
「体系的に学んでいないならそれは知識とは言わない」
「ネットで拾ってきた雑学は知識ではない」
この『拾ってきた言説』をそのまま知識のように使うことこそが戒められるべきである、そういう話です。