忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

自らの体感覚を絶対視しないこと

 

 感覚ではなく数字を信じましょう。

 

空間識失調

 空間識失調とは読んで字のごとく空間識を失調することです。とはいえ少しマニアックな言葉なので補足をしていきます。

 "識"とは「知ること/考えること」であり、例えば意識であれば意を知ること、見識であれば見方を知ることを意味していると言えるでしょう。認識であれば物事をはっきりと見極めて知ることです。そして空間識とは空間を知ることを意味する言葉となります。

 つまり自分が現在どのような姿勢でどこに立ちどこを向いてどう進んでいるか、そういった空間に関する認知が空間識で、それを損なった状態、単純に言えば平衡感覚を失った状態が空間識失調です。

 

 空間識失調は主に航空機のパイロットが陥る症状です。

 有視界飛行でランドマークや地平が見える状態であれば、飛行機がどのような態勢で自身が上下どこに向かっているかを誰でも瞬時に判断できます。

 しかし外界の視覚情報を得られない状態ではどれだけ訓練を積んだパイロットでも平衡感覚が狂ってしまい、明後日の方向へ舵を切ってしまうことがあります。深刻な場合は海と空の上下の区別が付かなくなるほどであり、実際に空間識失調を原因とする航空事故は幾度も生じています。

 

 とはいえ現代ではそこまで深刻な問題ではなく、パイロットは外界の視覚情報が得られない状態で空間識失調に陥った際、自らの体感覚を無視して計器飛行ができるよう適切な訓練を受けています。

 

体感覚は容易に狂う

 人は自分の体感覚を信じるものですし、それは多くの場合で問題ありません。全ての外部情報は自らの五感を通して受信している以上、それを疑うことは難しいものでしょう。

 ただ、体感覚は絶対ではないことに留意し続ける意識は必要です。

 

 五感の情報処理は感覚・知覚・認知の順で行われます。

 感覚は皮膚や舌といったセンサーが刺激を感受する過程です。

 知覚はその刺激が神経を通じて脳に伝達されて意味付けされる過程です。

 認知とは知覚した情報の価値判断を行う過程です。

 例えば手が熱いものに触った時、触った情報自体は感覚、その刺激を熱いと理解することが知覚、「熱いから手を放そう」と受け取った情報の価値判断を行うことが認知です。

 このように五感の情報処理プロセスは多段階であり、どこか一つが処理を誤っただけでも正しい情報処理を行うことはできません。

 

 五感を絶対視する人は自らの感覚に自信があるのだと思いますが、知覚認知そこまで信用していいわけではないことは留意が必要です。

 感覚は物理的なセンサーですのでそうそう感受ミスを起こしませんが、知覚や認知は脳神経が処理しているため容易にミスをします。ちょっとした見間違いや些細な聞き間違いは誰だってするようにです。

 

 敷衍すると、信念や思想にも同じことが言えます。

 自身からすれば感覚的に正しいと理解しているのかもしれませんが、それは実のところ"感覚"ではなく”知覚”や”認知”の領分です。よって情報処理が誤っている場合が多々あります。

 残念ながら、脳はよく間違える器官です。

 そのため私たちは空間識失調に陥ったパイロットと同様に、自らの体感覚ではなく計器のような外部の数字を信じたほうが賢明です。

 少なくとも有視界でない場合はそうすべきで、そして社会とは広く深く暗く、有視界ではありません。

 

結言

 とはいえ、まず前提として「自らが空間識失調に陥っている認識」が無ければ回避行動を取れません。

 認知の誤りを避けるための絶対的な方策はなく、私たちにできることはせいぜい気を付ける程度です。