忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

日本で政治の話をするのであればアサーティブに

 

 日本で政治の話題が忌避されている理由の一つに「攻撃性」があります。

 そんな攻撃性に関する私見を述べていきましょう。

 

日本では好まれていない

 政治の分野では異なる政治信条を持つ人を悪し様に罵ったり誹謗中傷を投げつけるような行為が横行していますが、そもそもとして日本では攻撃的なアピールはあまり好まれない傾向があります

 それは例えば海外の広告と比較しても分かるかと思います。ちょうど最近もAppleが他社製品を破壊する攻撃的なCMを作ったことをSNSの日本語圏が批判しているようにです。まあ過去にもWindowsを小馬鹿にするようなCMを出していたことを知っている人からすればAppleが攻撃的な広告を出すのは今更な話ではありますが。

 他にもペプシ・コーラがコカ・コーラを足蹴にするようなCMを流していたように、アメリカなどでは「あの会社の製品よりも我が社の製品のほうが優れている」と攻撃的で直接的な比較表現をすることが社会から許容されており、その反面、日本ではそういった直接的な表現は品が無いと判断されます。

 

相手の言い分を聞かずに話し合いは成立しない

 このような攻撃性の是非が文化の上下を意味するわけではなく、単純に文化の違いとして認識すべき事象ではあります。人それぞれ好き嫌いがあるように文化圏それぞれでも好き嫌いはあり、それは上下で区分することではありません。

 ただ、文化圏の好き嫌いとは明文化されているかどうかに限らずコード化(記号化)されたコミュニケーションのプロトコル(規約)だと考えるべきであり、重要なのは相手のプロトコルを斟酌することです。

 攻撃的で直接的な表現を許容する文化圏では所属する人々がそれで良いと暗に合意しているからそれが認められており、そうではない文化圏ではそれが良くないと暗に合意しているからこそ認められていません。そういった合意はそれそのものがプロトコルとして機能します。

 

 日本では攻撃的な表現は止めて欲しいと考える人が多く居る文化圏である以上、そのような表現を用いることはコミュニケーションのコードを守っていない不適切な行いとなります。たとえ海外ではそれが妥当で適切な表現だとしてもです。

 相手の言い分を聞かずに攻撃的な表現を用いている時点でその人は「話し合い」が成立しない人に他なりません。

 なにせ対話相手の言い分を聞く気がなくプロトコルを守る気もないのだから、話し合いができるはずもなく一方通行になるのは分かり切ったことで、当然そのような振る舞いをしては忌避されます。この場合に話し合いが成立しないのは受け手側ではなく話し手側に問題があります。

 

結言

 粗雑な振る舞いが好まれる男性的カルチャーに染まった集団の人間が別の集団で同様の振る舞いをした際には批判されるように、しかし外部からそういった集団へ入る時には粗雑な振る舞いを是とする必要があるように、コミュニケーションでは相手の事情を斟酌して文化風習に合ったやり方を取ることが双方に必要です。

 同様に、日本で政治の話をするのであれば非攻撃的で互いの人権を尊重した穏健なコミュニケーション、すなわちアサーティブコミュニケーションを取れば極端に拒絶されることはなくなります。それが日本におけるコミュニケーションのプロトコルであり、日本文化圏では闘技的コミュニケーションがあまり好まれていないためです。

 

 つまり率直に言えば、政治の話が忌避されているのではなく攻撃的な人が忌避されているだけであり、アサーティブコミュニケーションを取れば日本人同士でも政治の話をすることが充分に可能です。

 

 

余談

 私は知人や同僚とよく政治的な話をしていますので、日本人が政治の話をしないという風説すらそこまで事実だとは思っていません。

 人それぞれ政治信条は異なりますが、穏健なやり取りに徹していれば自身の思想信条をいくらでも開示してくれますので、やはり問題は「政治か否か」よりも「攻撃的か否か」にあると考えています。