忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

互いの言い分を呑み込めるかどうか:呑みやすさへの工夫が重要

 気付けばハロウィンがやってきて、いつの間にか去っていました。バスに乗り遅れた気分です。何も商業主義的イベントが嫌いとかそういった固い理由があるわけではなく、そもそも乗る気も無かったので特に気にしているわけではありませんが。

 どうにもこの手のイベントに関するセンサーが鈍感です。きっとテレビをまったく見ないせいでしょう。テレビはなんだかんだ言われることもありますが、世間の流れを知るには優れたツールだと思います。

 

 まあ去っていったものはさておき、今年はなんとなくハロウィンに対する見方が変わった年でした。

 

カトリックとのやり取り

 ハロウィンの見方が変わったのは、弊社のアメリカ法人に所属しているカトリックの営業マンとのやり取りがきっかけです。

 過去にも記事にしていますが、彼の見解を抜粋して訳してみましょう。

 

With that said, you might have heard of Halloween? It’s supposed to be “All Hallows Eve,” because those two days (Nov. 1st and 2nd) are so important in the Christian calendar. However, it was used to mock Christians, which is why you see monsters and demons during Halloween. It is said that a lot of demonic activity and witchcraft takes place during this time because of it. I think in today’s day and age, it’s harmless, but it can still be used for evil stuff, if one is not careful. 

(意訳)

そんな訳で、ハロウィンを知ってると思うけど、あれは本来なら”All Hallows eve"であるべきだったんだ。※万聖節/諸聖人の日(All Hallows Day)の前夜(eve)

11月の1日(諸聖人の日)と2日(死者の日)はカトリックのカレンダーでは凄く重要な日なんだけど、その日はキリスト教徒を嘲笑うために使われたこともあって、だからハロウィンではモンスターや悪魔が出てくるんだよ。この時期には悪魔的活動や魔術的行為が多く行われると言われてるんだ。今の時代では無害だとは思うけど、悪用されないように注意を怠ることはできないね。

 

 プロテスタントの多くはAll Hallows dayを祝う習慣がないためハロウィンに対してもそこまで忌避感はなく、私たち日本人からしても海外のお祭りを輸入してきただけのイベントですので特に何かしら問題だと思うことはないでしょう。

 それに対して彼のように敬虔なカトリックはハロウィンに対して若干の忌避感を持っているようです。その点について理解が浅かったため、おかげでハロウィンへの解像度が上がりました。

 

配慮と寛容

 一部のアメリカ人は「メリークリスマスは他宗教への配慮に欠けているためハッピーホリデーと言い換えよう」と考えており、実際に実践されている人もいます。

 個人的にそれは過剰反応ではないかと思っていましたが、ハロウィンに対するカトリックの姿勢を見て少し考えが変わりました。

 カトリックからすればハロウィンは多文化の祝い事ではなく、むしろ文化的に好ましくないイベントです。しかしその忌避感を前面に押し出して他者の行動を否定するのではなく、「私はこのような理由でハロウィンを好まないが他者が行うことは自由だ」とした寛容をもっています。

 この穏健な姿勢にはとても好感をもちます。

 

 個人間の小さなところから文化や国家など大きなところまで共通して、私はコミュニケートの本質を互いの言い分を呑み込めるかどうかだと考えます。

 大雑把にまとめてしまえば、コミュニケーションとは自らの言い分を呑み込ませて相手の言い分を呑み込むことです。どちらかが呑み込めなければ良好なコミュニケーションとは言えません。よって相手が呑み込みにくい尖った形状のまま口の中へ押し込もうとしてもなかなか上手くいくものではありませんし、相手の尖った意見をこちらが呑み込むことも辛いものです。嚥下し難い意見を互いに口へ押し込み合う様は望ましいコミュニケーションではありません。

 

 その点、「メリークリスマスは他宗教への配慮に欠けているためハッピーホリデーと言い換えよう」「私はこのような理由でハロウィンを好まないが他者が行うことは自由だ」は理想的なコミュニケーションです。

 相手の言い分は呑み込みつつも無条件ではなく自らの言い分は伝えており、そして同時に自らの言い分は相手が呑み込みやすいように丸く成形することで配慮をしています。呑み込むことへの工夫を凝らし互いに配慮し合うことこそが寛容であり、目指すべきコミュニケーションだと感じます。

 

結言

 ハロウィンへの理解や寛容の示し方など、彼とのやり取りは学ぶことの多いコミュニケーションでした。呑み込みやすいコミュニケーションは学びと成長にも繋がる、なんとも良いこと尽くめです。

 

 

余談

 自らの事情を説明し、相手の事情を斟酌し、互いに呑み込み合えるよう工夫する。

 これは先日の記事でも述べたように政治に必要な条件です。

 適切な政治とは適切なコミュニケーションと同義だと言っていいでしょう。