脱炭素社会が世間で騒がれています。
個人的に「脱炭素はそもそも科学的・合理的なのか」という本質的なところの議論が必要だと考えています。つまり脱炭素というヴィジョンがまず適切であるかどうかを考えなければいけないでしょう。
脱炭素、なんだか良さそうな響きはしますし地球に優しそうな気もするのですが、本当にその方向で進んでいって大丈夫かどうかをまずは議論しなければいけません。方法や目標はその後です。全力で良いことをやっているつもりだとしても、ヴィジョンが誤っていた場合悲惨な結末となることは歴史が証明しています。
というか脱炭素に反対する言論が封殺される風潮にあることがそもそもの問題です。つまり本質的な議論がなされていないのではなく、議論自体が存在しないように振舞われていることを危険視しています。科学とは反論があって然るべきであり、反論が受け入れられないのは科学では無く宗教です。「科学的に決着して議論の余地はない」という言説は科学的にまったく健全ではありません。
脱炭素は科学的か?
ちなみに脱炭素の動きは科学的に動いているという誤解がありますが、よくよく考えると脱炭素というのは科学ではありません。これは政治的な動きです。
科学とは体系化された学識や経験を指すものです。つまり、
「地球は温暖化していて、その主な原因は二酸化炭素である」
までが科学です。
「だから脱炭素をしよう」
までいくと科学の範疇を越えて政治的な意思決定の範囲になります。
それこそ、例えば別解として
「だから二酸化炭素を資源化する研究に投資しよう」
「だからもっと科学技術を高めて温暖化を防ごう」
「だから人類を減らそう」
「だから別の惑星に移住しよう」
「だから防止ではなく温暖化に適応できるような仕組みを作ろう」
といった回答もあるはずです。
脱炭素を否定する人たちを非科学的と見る人もいますが、彼らの依って立つ脱炭素自体は科学では無く、科学に基づいた政治的判断です。
脱炭素の試算
ちなみに日本がパリ協定でのCO2削減目標を達成しようとした場合、少し古い試算ではありますが地球環境産業技術研究機構(RITE)によれば年間約43~72兆円の費用が掛かります。
日本の国家予算は特別会計を含めて約300兆円くらいですので、国家予算の1/6くらいが必要ということです。さらに言えばこの試算はまだ技術的に確立していない新技術がもしできるようになったらという仮定での試算です。
日本のCO2排出量は世界の3.4%ですので、このままの排出ペースだと地球の温度が2℃上がるのであれば、ものすごく雑な計算をすると2℃×3.4%=0.07℃地球の温度が上がることを食い止めることができます。いや、実際はすでに1℃上がっていますし、二酸化炭素の大気寿命や累積量を考慮すべきでしょうが、まあ概算です。
言っちゃあれですが、国家予算の1/6を使うにしてはほとんど効果の無い無駄遣いだとしか思えないです。これを「科学的だから」と言われても困ります。
科学における異論と陰謀論
科学において異論はあっていいし、あるべきですし、無ければいけません。それこそが科学です。NASAは月に降り立っていないという言説があってもいいですし、飛行機雲は政府の陰謀で人体に有害な化学物質をばら撒いているのだと言う人がいてもOKです。ワクチンは製薬会社による人類抹殺兵器だと思ってもいいでしょう。
いや、あんまり派手にやられるとアレではありますが、まあいてもOKくらいで…
必要なのは異論・反論を受け入れる姿勢と、どちらが「より正しい」だろうと議論・検証をする環境です。異論を抑えつけるのは逆効果です。異論が正しければ科学の進歩を誤らせてしまいますし、異論が間違っていたとしても抑えつけられた人々はさらに陰謀論に走るのみです。「政府の陰謀で我々の意見が封殺されている!」となるのは必定です。というかよく見る光景です。