忘れん坊の外部記憶域

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予防原則に関する考察~その適用範囲について

 環境問題でよくお題目とされているのが予防原則です。これには厳密な定義が無いのですが、大まかに言えば

 「科学技術に対して人々の健康や環境に重大かつ不可逆的な影響を及ぼす恐れがある場合、科学的に因果関係が充分証明されないとしても、予防的措置を実施すべき。」

とする考えです。

 

予防原則の定義

 原則(principle)と謳われてはいますが、実際は40年ほど前に生まれたまだ新しい概念です。1980年代に誕生し、1990年以降に広まっていったものです。そのため予防原則の定義はまだ明確にはなっておらず、基本的には「推定有罪」ですがその立証責任は推進側か批判側かが決まっていません。また無害の証明はとても難しく、ほぼ悪魔の証明と言えるでしょう。

 確かに将来的に危険な可能性があることについて前もって予防しておくのは間違いではないです。君子危うきに近寄らず、触らぬ神に祟りなしとも言います。

 しかしながら、なんでもかんでも適用すべきかと言われるとそれは適切ではないと思います。予防原則については学者の先生方によるいくつもの論文が出ていますが、ここでは個人的な考えのみを記載します。

 

予防原則の課題

 個人的に考えている最も大きな課題は、予防原則自体に対する予防原則の適用です。つまり、ある科学技術を予防した結果、予防しなかった場合よりも大きな危害をもたらす可能性を除外できないのです。

 分かりやすい事例としてよく挙がるのが有機塩素系殺虫剤DDTです。DDTは多くの地域で使用されていましたが、後に人体と環境への悪影響をもたらす可能性が見つかったため使用が禁止されたり中止されたりしました。実際のところ悪影響は小さく、被害を被っている人もほとんどいませんでした。しかし蚊を感染経路とするマラリアがDDTを使わなくなったことで蔓延してしまい、毎年数百万人の死者を出す状況に後戻りすることとなってしまいました。

 他にも遺伝子組み換え植物はアフリカの飢餓を解決する期待を持たれていますが、人体への影響が明確になっていないため推進することができておらず、アフリカでは今でも飢餓が続いています。

 石炭の廃止についても同様といえます、安価なエネルギー源である石炭の使用を規制するということは、将来の環境のために今の途上国の人々はそのまま死に続けろと言っているのと同義です。

 環境問題についても極端な話、脱炭素化のために化石燃料を止めて風力発電を増やした結果、大気循環の効率低下によって地球の寒暖差が激しくなり甚大な気候変動をもたらす可能性や、風成循環の効率低下によって海流の駆動力が減り大規模な環境変化をもたらす可能性も考えられます。太陽光パネルを増やすとその影となる部分で今まで生きていた微生物や植物が死んでしまい、人類に害のある微生物が生まれるかもしれません。

 このように、可能性だけならばなんとでも言えてしまいます。

 

 つまり、必ずしも予防原則を適用すればいいという話ではないということです。可能性の話をするならば、やる場合とやらない場合のどちらにもリスクとベネフィットが存在するのです。

 将来の利益のために現在を犠牲にするのであれば、その費用便益を適切に計算して判断しなければいけません。「健康の為なら死んでもいい」というような馬鹿げた状態にならないよう注意する必要があります。

 費用便益を適切に計算するのは難しいということは重々承知していますが、だからといってリスクを∞に仮定してしまうと計算や議論、リスクマネジメントが成り立たなくなってしまいます。この手の議題で0や∞を持ち出す人がいたら注意して聞かなければいけません。「リスクはゼロです!」も、「リスクは無限大だ!」も、現実的にはあり得ないのですから。