忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

損失回避バイアスによる非合理的な意志決定

 

 不確実な未来予測に対して、意思決定者は合理性を保てない。

 

損失回避バイアス

 人間には損失回避バイアスがあります。

 損失回避バイアスとは大きな利得よりも小さな損失を回避しようと考えてしまうバイアスです。例えば100万円を偶然得られなかったことよりも100万円を偶然失うことのほうが大きな感情的衝撃を受けるように、ほとんどの人は利得を得ることよりも損失を被ることに感情的な痛みを大きく感じるようにできています。

 これは個人に限らず集団の意思決定でも同様のバイアスが働きます。未来予測はほぼ必ず不確実で、将来の予測は必ず複数シナリオを持つ以上、それらを楽観的・現実的・悲観的で分類した場合に大抵の集団は悲観的予測に沿った意思決定を行ってしまうものです。

 これは損失回避バイアスで説明がつきます。人は損失回避バイアスの影響によって最高の事態で手に入るであろう利得よりも最悪の事態で失うであろう損失を避けたいと願うためです。楽観的シナリオに沿って実際に楽観的な結果となった場合が利得としては最大ですが、悲観的な結果となった場合は大きな損失を被ります。それよりは悲観的シナリオに基づいて事前にコストを支払い、そのコストによって利得が減ろうとも損失を避けることを人々は優先します。

 もちろん支払うコストが妥当であればそれは正しい判断です。最悪の事態として個人の死や集団の瓦解が想定されるのであれば能う限りコストを支払うことが正当化されるでしょう。

 ただ、損失回避バイアスにおける利得と損失は非対称であり、時に個人や集団は利得や損失を天秤にすらかけず、いくら支払ってでも損失を回避しようと判断します。実際には生命や存続へ影響しない程度のわずかな損失であってもそれを回避するために莫大なコストをかけることが起こり得るものです。

 その代表的な事例が予防原則です。科学的に不確実であろうとも生命や環境などに危害が生じる可能性があるならば事前に予防すべきだとするこの原則は、実際には利得と損失を天秤にかけているわけではなく、損失回避バイアスの影響を強く受けています。

 恐らく危険であろうものを禁止して損失を回避しようと考えることは自然な発想ですが、何かしらを禁止して代替策を講じる場合、実際にはその予防的代替策も科学的な安全性が保障されているわけではありません。コストを支払っただけの安全が確保されるどころか、むしろより大きな損失を招くことすらあります。

 

批判を避けるための選択

 損失回避バイアスは時に誤った意思決定をもたらす認知バイアスの一つですが、実際のところ政治的な意志決定の多くはこの損失回避バイアスを避けることができません

 それは単純に、誰もがこの損失回避バイアスの影響を受けているためです。

 たとえ利得と損失の天秤で利得が大きいのだとしても、損失回避バイアスによってこれらは非対称な重み付けがされるため損失の多寡ではなく存在自体を人々は許容できません

 そのため、極端なまでに利得が大きいか、或いは無視できるほど損失が小さいと人々が思うことを意思決定者が選ばなければ批判の対象となります。そして意思決定者はその批判という損失を同様に大きく見積もるため、それを避けるような意思決定を選択せざるを得なくなります。

 つまり損失回避バイアスは集団の意思決定において二重に損失を大きく見せてしまう、困った偏見です。

 

結言

 何事も合理的なほうがいい、とまで極端なことを言いたいわけではありませんが、損失回避バイアスは逆に極端な意思決定を招きかねない認知バイアスです。

 これを避けることは正直なところ難しいですが、時に「このバイアスが生じているのではないか」と疑うだけでも色眼鏡を外す効果がありますし、そんなものがあるのだと人々が認知しておくことには予防的な効果があると私は考えます。

 この予防的措置には損失がありませんので、損失回避バイアスに邪魔されることはないでしょう。