昨今、ニュースでPFASの話題をよく目にするようになりました。
PFASの一種であるPFOSやPFOAなどは製造業に勤める私も10年以上前からよく見聞きしていた物質です。というよりも法規制への対応で苦労させられた物質ですので、若干の恨みがある程度には熟知しています。
工業製品の材料を変えるのは、意外と大変なのです。
PFAS狂騒曲
ニュースで流れてくるPFASの話題を見ていると、どうにも反応が過剰ではないかと心配になります。
たしかにPFASの一種であるPFOS・PFOA・PFHxSなどは人体への悪影響が懸念されています。確定的な知見は未だ無く実際の健康被害も報告されてはいませんが、様々なリスクを上昇させる可能性があることから規制が進められてきました。現在はそれら特定のPFASに限定せず全てのPFASを規制しようとする動きが進められています。
このような動き、人の健康や環境に対する深刻で不可逆的なリスクがあると予想される場合に充分な科学的確実性がなくとも事前に予防的措置を取る方策や考え方を予防原則と言います。
予防原則は一見すると極めて道徳的な指針に思えるでしょう。危ない可能性があるならば事前に規制しておくべきだと考えるのは妥当に思えますし、感情的にも納得感があります。
ただ、この原則は必ずしも道徳的な結果へと至れるわけではないことに注意が必要です。何故ならば予防原則は人の認知バイアスが強く影響している考え方だからです。
予防原則を是とする人の認知バイアス
まず予防原則は損失回避バイアスの影響を受けています。
損失回避バイアスとは「新たに獲得し得る利益よりも現状の損失を重視してしまう」考え方です。人は大きな利益を得ることよりも小さな損失を回避することを優先してしまいます。また、新たな技術の導入におけるリスクを高く見積もってしまうこともあります。例えば日本における電動キックボードでの死者は現在1名ですが、毎年数千人が亡くなる自動車よりも大きな危険に見えてしまう、そんなバイアスです。
予防原則の考え方も、得られるはずの利益よりも損失の回避を優先したいと考えるバイアスが強く働いています。
次に予防原則は自然の神話の影響も受けています。
自然の神話とは「自然とは人に優しいものだ」とした考えです。しかし自然災害や自然毒などの事例は枚挙に暇が無く、自然が人に優しいと考えるのは大いなる誤解に他なりません。
予防原則は多くの場合で人工物に対して適用されます。それはこの自然の神話が影響しており、人工物を無くして天然物に変えれば安心だと思い込んでしまうためです。
また、予防原則は利用可能性バイアスの影響下にもあります。
利用可能性バイアスとは「人々が物事の確率を判断する時、すぐに思い浮かぶ事象ほど実際よりも高い確率だと判断してしまう」バイアスです。
人は利用可能性バイアスによって目につきやすいリスクに囚われてしまうため、目先の小さなリスクに対して過度に怯えたり、他の気付きにくい深刻なリスクが目に入らなくなってしまいます。
予防原則においてもこのバイアスは強く影響するため、すぐに思い浮かぶ目の前の事象のリスクを過大評価してしまい、それを規制することで新たに生じるリスクが覆い隠されてしまいます。
他にも予防原則は確率無視のバイアスからも影響を受けています。
確率無視とは起きた結果だけに注目してしまい、それが起きる確率が目に入らなくなることです。
例えば飛行機事故をニュースで目にした際に、実際に落ちる確率は著しく低いのに飛行機は落ちると思い込んでしまう、そんなバイアスです。とにかくリスクを回避しようとする予防原則の考え方を過度に適用すると、そのリスクが実際に生じるのかどうかを無視するようになってしまいます。
最後に予防原則はシステム効果の無視からも影響を受けています。
システム効果の無視とは物事を独立した部分として捉えてしまい全体のシステムまで考えを馳せられなくなるバイアスです。実際の世の中は極めて複雑に絡み合っており、何かのリスクを下げようとすると別のリスクが増加し得るのですが、それが見えなくなります。
つまり「危ない可能性があるならば事前に規制しておくべきだ」とした予防原則の考え方は、リスクを下げる妥当な発想のように見えて、実際には以下のようにリスクを高めてしまう場合があります。
・小さなリスクを避けるために大きなリスクを取ってしまう(損失回避)
・人工物の排除に走りリスクを高めてしまう(自然の神話)
・想定していなかった別のリスクを増加させてしまう(利用可能性)
・他のリスク要因を無視してしまう(確率無視・システム効果の無視)
よって予防原則へ無批判に従うことは場合によっては非道徳的な結果すらもたらします。
本当にリスクを下げて安全性を高めるのであれば、危ないと思える事柄をただ規制するのではなく、定量的にリスクを評価し、比較し、分析して慎重に判断しなければなりません。
結言
冒頭で例に出したPFASはこの予防原則の落とし穴に落ちかけているのではないかと懸念しています。
広義のPFASは建材、衣服、機械、容器、楽器、プラスチック、自動車、半導体、その他のありとあらゆると言っていいレベルで広く用いられています。
本当に全てのPFASを規制した場合、様々なモノの性能や安全性が低下し、健康コストや生産コストは増加して、それらによる環境負荷も増加の一途となるでしょう。まさに前述してきた認知バイアスによる様々な弊害がもたらされる条件をPFASの一括規制は満たしていると言えます。
PFASの規制に限らず、何事においても安易に予防原則を適用せずにもっと慎重にリスクアセスメントを実施したほうがいいのではないかと私は考えます。