4月に部署異動をして以降、どんどん疲労が溜まっていく。
意思決定による摩耗
仕事において最も気力を消費する行為は意思決定だと考えています。
何かしらを決断する行為は肉体的な労力を払っていないとしても精神的に疲れるものです。
気力を最も消費するのは意思決定、つまり物事を決断することです。時間的制約の中で手に入る限りの不完全な情報から組織や自らの未来に関わる判断を「決断」することは大変に気力を消費します。
意思決定による精神疲労の原因は、主にその意思決定に対する責任を負うこと、そして意思決定に必要な情報処理が複雑なことが挙げられます。
こんなのは温いレベルの話であって、もっと質が悪い話であれば「お偉いさんが好き勝手に意思決定した挙句、問題が起きたら下っ端が責任を取らされる」ような典型的な責任回避が簡単に起こっちまう。
意思決定と責任は絶対に分離してはいけない。
たしかに不正確な情報をもって意思決定を行うことは不安が付きまとうものです。正しい情報をもって正しい意思決定を下したいと願うことは当然でしょう。
ただ、厳しい話ではありますが、誰しもが同じ決断を下すであろう確実な情報が現場で手に入るのであれば、意思決定者は不要です。それが原理原則的に手に入らないからこそ組織は不確実な状況に対する耐性を持った意思決定者を必要としているのであり、そのために組織は相応の待遇と教育訓練をもって意思決定者を配置しています。
逆に考えれば、責任の範囲が明確で情報処理が簡易であれば意思決定をしてもそこまで疲労することはないでしょう。
私も以前の部署ではそこまで意思決定で疲労することはありませんでした。長年同じ部署で働いていたため責任範囲は熟知しており、背景情報も無数に持っていたため情報の解像度を自力で補正できていたことから、意思決定もある種のパターン化による流れ作業で行えたものです。
異動してきた今の部署ではまだ責任範囲を把握し切れておらず、持っている情報も微小です。
よって何かしらの意思決定の全てにおいて「これはどう判断すればいいか」「この判断の是非はどう評価するか」「この判断をした後のプロセスはどうなるか」「そもそもこれは自分が決定していい範囲なのか」などを把握し切れておらず、小さな意思決定でも時間の浪費と精神力の消費が生じて精神的な疲労が蓄積されていくのを感じます。
困ったことに、この問題は一朝一夕で解決することができません。
必要なのは様々な知見と経験であり、そのためには時間を掛けることが不可欠なためです。
結言
この疲労感の解消は時間が解決してくれるのを待つしかないのですが、それまで忍耐が求められると思うとなかなかにしんどい気分ではあります。
まあ、頑張りましょう。