特に事故や事件のニュースに関する反応でよく見かけますが、最初に流れた情報と追って流れた情報の差がある時にそれを問題だと指摘する人が時折います。それが悪化した場合は「情報が隠された」「情報の隠蔽が行われている」といった陰謀論に片足を踏み込んだような見解を述べる方までも見受けられます。
普通に考えれば速報には誤情報が含まれている場合が多々あるだけの話なのですが、恐らくはハンロンの剃刀を持っていないのでしょう。
ハンロンの剃刀
Never attribute to malice that which is adequately explained by stupidity.
愚かさによって十分に説明できることを悪意の結果だと考えるべきではない
世の中に混乱をもたらすのは誰かの策略や悪意ではなく誤解と怠慢であることが多いものです。たしかに世の中とは複雑なものではありますが、複雑な世界から出力されるものが必ずしも複雑とは限らず、速報の誤りも悪意による情報操作よりは必然的に生じるただの過ちだと考えるのが自然です。
情報のトリレンマ
情報には明確にトリレンマが生じます。それは量・速度・確度のトリレンマです。
量を求めると必然的に速度や確度が損なわれます。
速度を求めると否応なしに量や確度が低下します。
確度を求めると当然ながら量や速度は減少します。
即座に確度の高い情報が大量に入ってくるようなことは有り得ません。お金を掛ければ2つまでは両立できますが、全ては不可能です。必ずどれかしらの質を犠牲にする必要があります。
ニュース速報は速度を優先した形式の報道であり、確度はある程度犠牲になることが前提です。正しいかどうかを細かく精査していては速報にならない以上は構造的に確度を担保しようがない報道形式であり、速報を受け取る視聴者側もそのことを理解しておく必要があります。
後日に速報の情報が誤っていたことが分かるなんてことは当たり前の必然であり、そこには大抵の場合で陰謀も悪意も存在していません。だからこそ誤報だと責める必要もありませんし、邪推をする必要もありません。
意思決定はフェーズによって異なる
リーダーや指揮官のような意思決定者の仕事は情報を収集して組織や集団の意思決定を行うことです。無数の情報を収集して解析し、情報に基づいて適切な意思決定をすることが求められます。
よって意思決定者は情報のトリレンマを前提として熟知し、意思決定には二つのフェーズ・局面があることを理解しておく必要があります。
例えば組織の中長期計画を立てる場合など時間や金銭などに余裕があり失敗が許されないフェーズでは、情報の速度を問わずに量と確度を高めることに専念することが適切です。正しい情報を大量に集めるためには時間が掛かります。腰を据えて熟慮することが必要であり、軽慮浅謀な姿勢は戒めなければなりません。
反面、短期で即座の意思決定が必要なフェーズにおいて情報の確度を求めるのは禁じ手です。確度を高めようとすると情報の量が不足したり速度が遅くなってしまい、目的である短期で即座の意思決定を下せなくなります。このような場合で必要なのは正しい情報ではなく、不確かな手持ちの情報から意思決定をする分析力と覚悟です。
大雑把な例示をすれば、医者が進行の遅い病気の治療方針を決める時と急患に治療をする時では意思決定に必要な情報の質が変わる、そんな話です。
前者であれば患者のQOLや体質などを考慮し様々な検査をして最適な治療方針を定めることが適切です。この時に必要なのは情報の量と確度です。
後者ではそんな時間を掛けている余裕はなく、必要最小限の検査で分かった範囲をもって即座に治療へ着手する必要があります。この時に必要なのは情報の速度であり、時点で量です。
どちらが正しい意思決定や情報の質だと区別するのではなく、意思決定に求められる機序はフェーズ・局面によって異なるだけの話です。
意思決定者に必要なこと
たしかに不正確な情報をもって意思決定を行うことは不安が付きまとうものです。正しい情報をもって正しい意思決定を下したいと願うことは当然でしょう。
ただ、厳しい話ではありますが、誰しもが同じ決断を下すであろう確実な情報が現場で手に入るのであれば、意思決定者は不要です。それが原理原則的に手に入らないからこそ組織は不確実な状況に対する耐性を持った意思決定者を必要としているのであり、そのために組織は相応の待遇と教育訓練をもって意思決定者を配置しています。
不確実さを恐れて情報収集を続ける愚を犯しいつまでも意思決定が下せない意思決定者はその職責を果たせていないとすら言えます。
結言
情報の量・速度・確度は全てが充足することのないトリレンマの構造を持っています。情報の解析者たる意思決定者はそのことを熟知し、状況に応じてどれを優先するかを柔軟に変更し、適切にリソースを分配する必要があります。