今回は愚痴っぽい内容なので、いっそのことぶっきらぼうな文体を目指してみます。
意思決定と責任の連動
仕事には分掌がある。丁寧に言えば職務分掌やらそんな感じの、各人の役割と権限を明確にした仕組みを意味する言葉だ。
難しそうな言葉に聞こえるかもしれないが、つまりは役割分担の気取った言い回しだと思ってもらえればいい。
組織の運営者は誰が何をやってどこに責任があるかの役割分担をはっきりしておかなきゃならない。それが不明瞭な組織はどいつもこいつも責任回避や責任の押し付け合いに終始して保身に走ることが行動の基本原則になっちまう。
そりゃあ大抵の奴は責任を負わずに旨い汁を吸いたいと思うもんだが、それじゃあ組織はまともに動かねえ。事前にカッチリキッチリ誰が何の責任を負うか決めておく必要がある。
ところが、分掌が明確だというのに何故か他人に意思決定を任せようとする奴が世の中にはいる。自分の職務権限の範囲においても「こうしてもいいですか?」「ああしてもいいですか?」といちいち聞いてくる奴だ。
もちろん部下が上司にそういったことを聞くのは問題ない。上司は部下の行動の責任を負っている以上、部下の意思決定に上司が介入するのは権限の範囲内だからだ。
問題は他部門や他部署に自らが為すべき意思決定を放り投げる人間だ。それは職務分掌を理解していないボンクラだとしか言えない。
意思決定は責任と表裏一体だからだ。意思決定を行う権利はその結果に対する責任を負う義務とセットである以上、職務分掌で意思決定を任されていない誰かに投げるのは責任回避以外の何物でもないだろう。
そりゃあまあ世の中には訳の分からないことに自分の分掌範囲外のことであっても「俺は聞いてない」「俺を通すのが筋だろう」と介入したがる阿呆もいるが、そんな馬鹿基準に従ってなんでもかんでも意思決定をする際に各所へお伺いを立てていたら仕事なんて進みやしない。意思決定の責任を持った部署が「こうすると決めた」「ああすると判断した」「別案があるならば連絡してくれ、考慮する」と事後的に報告すれば充分だ。
もちろん意思決定の責任を別の部署が同時に持っている場合は根回しなり事前調整なりをしなきゃならん、それは忘れちゃいけねえ。責任とは義務的なものだが権利でもある。他所の「責任を取る権利」を強奪するのは御法度だ。
俺が決めていいならやっちまうぞ?
意思決定と責任は常に連結している必要がある。そのためにも組織の規則に明記して、その認識を各員にしっかり教育訓練しておくことは必須だ。
そういったことをしっかりと教えていないと、こんな余計なやり取りが生じる。
私「本件に関する是非の判断をお願いします」
相手「それを決めるのはそちらの部署では?」
私「え、うちで決めていいんですか?問題が起きたらそちらの部署で対処するよう規則で決まっていますので本件の意思決定権はそちらにあるのですが。こっちで決めていいのでしたら将来のリスクなんか全部無視して今この場で俺が即座にGO出しますけど」
相手「いや、それは困るからこちらで決める」
私「ですよね」
実に無駄なやり取りだ。
結言
こんなのは温いレベルの話であって、もっと質が悪い話であれば「お偉いさんが好き勝手に意思決定した挙句、問題が起きたら下っ端が責任を取らされる」ような典型的な責任回避が簡単に起こっちまう。
意思決定と責任は絶対に分離してはいけない。
責任を取るべき立場の人間にだけ意思決定の権利を与えなければならない。
意思決定をする義務を持たされた人間が責任を取る権利を持たなければならない。
責任とは意思決定をする権利であり、同時に結果へ対処する義務を負うものでなければならない。
それ以外の行動、意思決定をすべきでない人間が意志決定をしたり、意思決定をしたくせに結果を受け入れない人間を『無責任』と呼ぶのだから。