伝統とは
ある社会で古くから受け継がれてきた、風習や様式、傾向など
を意味します。
この伝統というものに価値を見出す人と見出さない人がいます。何故その差が出るのかを少し考えてみましょう。
伝統に対する保守派と進歩派
言ってしまえば伝統とは長く続いてきた有形・無形のものということですが、
- 長く続いてきたのだから価値があり守るべきだ(保守派)
- 長く続いているだけで合理性が無ければ守る必要は無い(進歩派)
と、それぞれの意見があります。
この価値観の違いはシンプルで、どの時間軸に視点を置いているかの違いです。
保守派の視点は
「過去から続いてきたからには良い所があり、取捨選択の競争に勝ち残ってきたのだから将来的にも役に立つだろう」
という過去と未来にあります。
対して進歩派の視点は
「過去の実績や経緯はどうあれ今現在役に立つかが重要だろう」
という現在にあります。
どちらが良い悪いというわけではなく、ただ時間軸が違うだけです。
もっと具体的なもので例えると分かりやすくなります。
例えば老舗の旅館、「長く培ってきた豊富なノウハウと信用に基づいた良いサービスを受けられるだろう」と過去の実績から未来を推定するのが保守派で、「今どんなサービスを提供しているかが重要だ」と現在を考えるのが進歩派です。
例えば甲子園常連校、「過去の経験から適切なトレーニングを行っていて、将来的にも良い選手を育成するだろう」という考えや、「何回甲子園に出たかではなく、今現在甲子園に出場できている学校が優れている」という考えもあるでしょう。
保守派と進歩派の価値観の違い
なぜ時間軸が異なる価値観が存在するのでしょう。
そもそもとして人間は”変化しない"ことに価値を見出す生物です。太陽や巨木を崇拝する原始宗教はそれらが”変化しない”からこそ信仰の対象としています。
同時に人間は"変化する"ことにも価値を見出します。生存競争において生き残ることができるのは強いものではなく変化に適応できるものであり、状況に応じて変わっていくことや多様性を重視することに価値を認めるのは生物の本能だからです。変わらないことはすなわち停滞であり、激変する環境で生存することはできません。
伝統についてもこの2つがせめぎ合っていて、不変に重きを置く人は伝統を墨守することを優先し、変化に重きを置く人は伝統の価値を低く判定します。どちらが偉いというわけではなく、どちらも人間の内に元々存在する価値基準であり、個々人で重きを置いている箇所が異なるだけです。
そもそも価値とは?
では価値というのはどのように決まるのでしょう?哲学者カントの言を借りると、価値には相対的価値と絶対的価値があります。相対的価値とは人間の行為によって獲得し得る全てのものを指します。絶対的価値とは存在それ自体が目的であり代替不可能なものである人格(意思)を指しています。つまり私たちが一般的に言う価値とは全て相対的価値を示しているのです。
相対的価値は集団がそれを認める時に存在しえます。
例えば紙幣、あのただの紙切れに価値を持たせているのは皆がそれに価値があるとしているからです。貴金属も価値があると皆が認めるからこそ価値が生まれています。カブトガニは絶滅危惧1類でありそのフンはとても希少ですが誰もそのフンに価値を認めたりはしないように、量が少なく希少であること自体は価値ではなく、その対象の価値を皆が認めるかどうかです。
形が無いものも同じです、宗教や国家、スポーツや平和、これらは皆が認めるからこそ価値があるものになっています。誰もそれを認めなければキリストはただのおじさんですし、国家は存在し得ません、足が速いからなんだといえばそれまでですし、争いのほうに価値を見出したら平和は消え去るでしょう。
つまり相対的価値とは皆が共有する幻想であることを意味しています。
人間の規定する価値は人間によって定まるという当たり前の話でもあります。雄大な山脈や広大な草原も人間がいなければそれを美しく価値があるものだとは規定されないのです。
伝統も同じで「長く続いているから価値がある」と人々が認める限りは価値があります。そして誰もが古い習わしに価値は無いと認めれば伝統の価値は失われます。
伝統の特徴と価値
伝統の定義には”長く続いていること”を含んでいます。よって他の価値とは異なり、伝統は価値を失った場合取り戻すことができないことが特徴としてあります。
これは重要な特徴です。他の物事であれば、変えてみて、上手くいかなければ戻すということができます。しかし伝統に関しては変えて上手くいかなかった場合元に戻すことができなくなります。そのため、伝統に関するものはそれを変更する際に慎重な議論が必要になります。失敗をしないように、どこまでを不変とし、どこを変えるか、それによって伝統の価値がどう変動するかを十分に吟味しなければいけません。
保守派、慎重派、進歩派、急進派
物事を変化することに対しては保守派、慎重派、進歩派、急進派がいます。
公平を期すために先に私のポジションを述べておくならば、私は慎重派です。変化そのものは必要だと考えています。変化する世の中で不変であろうとすればそれは停滞としかなりません。しかしながら新しいものが必ずしも良いものとは限らないということも忘れてはいけません。古いから悪い、新しいから良いというのは勘違いです。私も新しい物は好きですが、それは新しいから好きなだけであってその物自体の良し悪しとは分けて考える必要があります。古いものにも良いところはありますので、温故知新で進めていけばよいと思っています。
よって、物事を変える時は古いものを捨て去るような安易な変革は望ましくないと考えます。もちろん状況によっては急激な変革が必要なこともあります。それでも丸ごと入れ替えるような捨て方ではなく、少し迂遠に思えるかもしれませんが手直しをするような変え方のほうがトータルでのリスクは低減できるものです。
伝統についても同様に考えています。時代に合わせた変革は必要であり、頑迷に墨守することは逆に伝統の価値を毀損しかねないと思います。しかしながら伝統を安易に変えたり捨て去ることは元来気付かぬうちに得ていた有形無形の恩寵を失いかねません。時間を掛けて充分に討議し、慎重に改変することが望ましいでしょう。