忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

多様性とはどのような概念か~アライメントで考えてみる

 大変ありがたいことに多様性に関する問題提起をいただいたため、個人的なアンサーを考えていました。もちろん私の意見が絶対的に正しいものではなく、人それぞれ多様性に関する意見はあると思います。しかしそのように多種多様な見解があることこそがダイバーシティを担保するものだと考えるため、私としてはそれが好ましくあります。

価値観の多様性の定義

 多様性は自然科学的な概念と社会科学的な概念では若干異なるものですが、今回は生物多様性や地域多様性ではなく価値観の多様性を対象とします。

 価値観とは何に価値(善悪・好き嫌い)があると認めるかに関する考え方です。親の教育や生育環境、書物からの吸収や所属する共同体からの継承、個人的な経験や思索の積層によって培われます。また世代や地域によっても価値観はある程度の分布を持ちます。伝統的価値観を尊ぶ地域もあれば、革新的価値観を好む地域もあります。

 価値観の多様性とは、何に価値を認めるかというのは人それぞれであって良いという考えです。ハンバーガーが好きであっても良し、オムライスが好きであっても良し、菜食主義であっても良し、というのが多様性がある状態です。

アライメントで考える

 私はゲームが好きなので、物事の属性を検討する際にはアライメントで考えると個人的にしっくりきます。

 ロールプレイングゲームでは古くから属性(アライメント)という概念があります。ダンジョンズ&ドラゴンズにおけるアライメントが最も有名で、多くの作品にも取り入れられています。D&Dのアライメントは人々や社会の持つ倫理上と道徳上の見地を分類したもので、倫理上は【秩序】【中立】【混沌】、道徳上は【善】【中立】【悪】のそれぞれ3つずつ、組み合わせで計9種類の属性となっています。

 例えば【秩序にして善】の属性を持つキャラクターは聖職者や正義の騎士などの高潔なキャラクターを示す属性で、現代の作品で言えばインディー・ジョーンズなどが当てはまります。

 【中立にして善】であれば秩序の指針を伴わずに自らの良心に従って利他的行動を成すものであり、代表的なキャラクターはスパイダーマンが挙げられています。

 【混沌にして悪】は利己的な破壊者であり、規則や他者の尊厳を破壊し、自らの欲望を満たすことに関心があるキャラクターです。カール・デナムが代表例として挙げられます。

 全部を説明すると長くなるのでこの辺りにしましょう。趣味の域ですし。

 多様性はどこに位置する概念かというと、倫理上における【中立】の概念です。何せ「貴方と私は違うものを好んでいていい」という状態は決して【秩序】だったものとは言えません。かといって【混沌】のように「貴方と私は違うものを好むべきだ」という思想の強制にまでは至っていないことから、双方の存在を認める【中立】の位置に属する概念となります。

 これはアメリカのコンサバ・リベラルの分類を見ると得心がいきやすいかと思います。保守(コンサバ)の多くはキリスト教を主軸とする伝統的価値観を持っており、キリスト教の求める秩序を良しとする価値観を持っていることから、その秩序に則らない【中立】の行動をあまり望ましいとは思っていません。多様性を好む革新(リベラル)は言ってしまえばアンチキリスト教であり、伝統的価値観に従わない価値観を認めるべきだという考えを持っています。

 つまり【中立】の価値観において多様性を良しとしているのは【混沌】すなわちカオスを認めることであり、【秩序】を良しとする価値観とは相性が悪いものとなります。アメリカで二大思想派閥としてコンサバとリベラルが対立しているのはまさにこのためです。

 参考までに、宗教においても多様性をどうするかは議題となります。原理的なカトリックを重視するか、プロテスタントのように変化した宗教を許容するか。つまりは秩序を重視するか多様性を重視するかは人それぞれです。

善悪は固定されないが・・・

 ここでアライメントに話を少し戻しましょう。多様性は倫理上の【中立】に該当する概念ですが、道徳上では【善】【中立】【悪】のいずれにも固定されるものではありません。【中立にして善】【真なる中立】【中立にして悪】のどれもが存在し得ます。

 私の個人的な思想としては、悪はあまり好ましいとは思っておらず認めたくもないため、【中立にして善】に寄りたいものと考えています。よって先日の記事で多様性のことを「なんでもOK」と表現しましたが、これは表現不足でした。「善であればなんでもいい」というのが私にとっての多様性です。人に迷惑をかけたり危害を加えたりする行為は決して多様性という幅で許容されて良いものではないと考えます。【真なる中立】まで達観できれば気が楽なのですが、そこまで厭世的に生きるほど悟ってはいないので・・・

 もちろんこの善とは何かということも難しいものではあります。人によって何が善なのかはやはり価値観によって決まるからです。

 多様性というのは悪く言えばカオスな状態を指しますので、どうにも概念を固定するのが難しいです。だからこそ思索は続き、面白いとも言えるのですが。