仕事ができない若手社員に関するアンケートの続きです。思ったよりも長くなりましたので分割しています。
さらに厳しい話になりますが、アルバイトや一般事務職での採用と異なり総合職で採用した若手に企業が求めていることは、新たな価値を創造して業績を伸ばすことです。新たな価値とは、すでに世界にある既知ではなく、未知の方法やモノ・コトを意味します。
嫌な言い方をしてしまえば既知の方法で成功するのは「当たり前」であり、失敗すれば「なぜできない」と責められます。そして仕事の成果を出すということは「既知のすでに誰かが実施していること」ではなく「未知の誰もやっていないこと」をして価値を産み出すことなのです。
未知なのですから、言ってしまえば上司だって答えや方法は知りません。
上司なんだから成果の出し方を知っているべきだ、というのは企業に教師を求める思考ですが、上司は学校の先生ではありません。上司の役割は「指示命令」と「責任を負う」ことです。もちろん上司の仕事はマネジメントですので、チームで仕事をこなせるようにそれができる部下に仕事を割り振ります。しかしながら、できる人間だけに仕事を回していては若手にやらせる仕事は雑用だけになってしまいます。
この場合のできる人間とは「未知の方法を知っている」人間ではもちろんありません。「未知の方法を模索できる」人間であり、自分で考えて行動することができる人間です。上司は若手もそうなれるように育って欲しいからこそ、若手にとって「未知」の仕事を割り振ります。別に若手には即戦力となることは求めていませんので、成果ではなく自分なりに考えて模索することこそを期待しています。
若手は教わってないことをやれるようになって初めてチームの戦力となることを覚えておきましょう。
さて、企業には育てる義務は無いことを書きましたが、同時に労働者には勉強する義務もありません。言ってしまえば成果を出せさえすれば後は自由です。
とはいえ、やったことがないことを何も勉強せずにできる人間はそうそういません。よって、成果を出すためにはイヤでも勉強をしなければいけません。「業務で必要な勉強は会社で教えるべきだ」と考える人がいるかもしれませんが、何度も言っているように企業には育てる義務はありません。できないのであれば別のできる人を雇うだけです。
さらに言えば、企業は従業員に勉強をさせることをコントロールすることはできません。企業が評価基準とするのは仕事の成果ですが、勉強することを業務で強制した場合は「勉強を頑張った」ということも評価しなければいけなくなってしまいます。企業は営利が目的であり利益を上げないと継続できません。しかし頑張ったことを評価してしまうと、それが成果に結びついていない場合は最悪企業が倒産することになります。そうならないために企業は勉強をコントロールせずに仕事の成果だけを評価しているのです。
また、人には能力や適性の差異が当然あります。まったく勉強をしなくても仕事ができる人と、もの凄く勉強をしても仕事ができない人がいた場合、やはり企業の評価としては仕事ができる人を評価せざるを得ません。これは不平等ではありますが、極めて公正な判定です。そのため、もし人と同じだけ努力しても人よりも結果が出せない場合は、人よりもたくさんの努力をするか、仕事を変えるか、その評価に甘んじるかしか選択肢はありません。
こればかりは学生と同じです。下校後に家で勉強する学生のほうが成績が高くても普通ですし、同じ授業を受けても成績は人によって異なります。厳しい話ですが、頑張ったことが評価されるのではなく、結果を出したことが評価されるということは忘れてはいけません。
ネガティブな話が続きましたが、視点を少し変えてみましょう。
仕事で成果を出せば評価される。つまり、やることをやっていれば後は基本的に自由です。若手が窮屈に感じるのは、ただ単純に仕事での成果がまだ少なく自由度がないためです。仕事ができるようになれば時間的な自由も融通が利くようになりますし、発言力も上がってさらに組織内での自由度が上がります。
ですので、まずは仕事ができるように努力すると色々と楽になりますよ。