忘れん坊の外部記憶域

主に時事やビジネス、政治経済や興味を持ったことについて書き散らしています。

やりたくなくても、やってくれ

 「やりたくないのでやってません」

 頼んでいた事が進んでいなかったため状況を聞いたところ、若い子に言われてしまいました。なかなかのカルチャーショックです。仕事というよりも、君の業務に必要だからこれを読んで先に勉強しておいてくれというだけの内容でした。そうか、やりたくなかったのか・・・

確かに気持ちは分かる

 やりたくないことはどうすればいいか。世の中には大枠として2通りの意見があると思います。

 「仕事なんだからやりたくないことでもやらないと、逃げても良いことは無いよ」

 「やりたくないことをやるのはメンタルに悪いよ、一度しかない人生やりたいことをやるべきだ」

  正直なところ共感としては後者なんですよね。私だってやりたくないことなんてやりたくないです、だってやりたくないことなんですから。トートロジーかな?やりたくないことをやるのは精神的にとても疲労しますし、まったくもって楽しくありません。できることならやりたいことだけやって自由に生きていきたいものです。いや、まあ、子どもの頃からなりたかったエンジニアになって働いていますので私としては好きなことをやって生きているのではありますが。

その椅子からどいてくれ

 しかしながらここで雇われ人の真面目な正論が首をもたげてきます。

 「君は求められた労務を行う事の対価として給与をもらうという労働契約を結んでいるのだから、職務を果たしてくれ。職責を全うしないのは君の自由だが、それは労働契約の破棄であるからして君が給与を受け取る根拠も無くなるな。」

  つまるところ、やりたいことやりたくないこと、そしてやるべきことやるべきではないことは軸が異なるのです。やるべきことという現実の要求に対してやりたいかやりたくないかという気持ちは別の問題であり、やるべきことからしたらどちらでも関係ありません。やりたかろうが、やりたくなかろうが、やるべきことなんだからやってくれというだけのことです。

 やるべきことをやらないんであれば代わりにその椅子から離れて、やりたいことができるところに行ったほうがいいです。これは決してネガティブで非難的な意味合いではなく、実際にそれ以外無いんですよ。「やりたくないことはやらないほうがいい」という各所の記事やブログを見ても、「そんな仕事は辞めて転職すべきだ」「仕事を辞めて別のことで稼げばいい」というようなことが書いてありますがまさにその通りであり、やるべきこととやりたいことを一致させるにはそうできる場所に行くしかないんです。当たり前のことですが「やるべきことはやらないが雇われ人として給与をもらう権利はある」と言っている人なんて一人もいません。そんなものはただの給料泥棒であり、組織やチームに迷惑をかけることになります。椅子を明け渡してもっと望ましいところに行っていただいて、空いた椅子にはやるべきことができる人を雇う、そうすれば互いに幸福でしょう。

 もちろん個人のパフォーマンスを考えればやりたいことをやるほうが生産性が高まります、嫌々やっていたって非効率です。しかしながら組織やチームで働く場合は別で、組織やチーム全体のパフォーマンスを上げるために個人のパフォーマンスを落とさざるを得ないこともあります。個人の能力など組織やチーム全体の能力からすれば小さいものだからです。そのため芸能人やスポーツ選手のような個人のパフォーマンスで商売をする人にとって「やりたくないからやらない」はほぼ常に正解ですが、組織やチームで働く場合はそうとは限りません。

「やりたくないからやらない」には限度がある

 極論、「私は税金を払いたくありません」という人が居て「払いたくないから払わない」が通じるものでしょうか。それを通すには税金の無い国に行くしかないでしょう。もしくは税金による福祉を完全に受けないかのどちらかです。福祉のフリーライドは人様に多大な迷惑をかけることになります。

  「人に迷惑をかけたっていいじゃないか、自分の好き勝手に生きるべきだよ」という人もいらっしゃいますが、私としてはまあ、そういうのはあまり好みではないとしか言えないです。福澤諭吉が『学問のすすめ』で述べたように、

「人の天然生まれつきは、つながれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なるものなれども、ただ自由自在とのみ唱えて分限を知らざれば、我儘放蕩に陥ること多し。すなわち分限とは、天の道理に基づき人の情けに従い、他人の妨げをなさずして我が一身の自由を達することなり。」

という考え方のほうが好きです。自由とは互いに好き勝手迷惑を掛け合うことではなく、互いの妨げにならないよう譲り合うものだと思っています。

 人と人は譲り合いや助け合いが大切なんだよと、子供の頃に母から教わった三尺三寸箸の説話を今でも覚えています。今にして思えば子供に理解させるには少し難しい内容とも思いますが、含蓄のある良い説話です。読みやすい記事がありましたので僭越ながらリンクを貼らせていただきます。

【連載】切り絵でみる仏教説話 No3. 三尺三寸箸