忘れん坊の外部記憶域

主に時事やビジネス、政治経済や興味を持ったことについて書き散らしています。

親不孝者の独話

 私は恥ずかしがり屋の小心者なのでブログを書いていることを知人には話していません。ですので、まあ思うところを自由に書いています。盆が近づいてきて、ふと両親について書いてみようかと思ったため少しばかり独り言を残しておきます。本来はこのブログに書くような話ではない気もしますが、まあ記録してみましょう。

 高校卒業後に実家から遥か遠くの大学に進学して以来、私は盆正月くらいしか顔を見せない放蕩息子です。社会人になってもう10年も経つのに結婚もせず、好き勝手に生きているロクデナシです。両親に大変迷惑と心配を掛けているのを知ってはいますがロクに恩返しもできていない私は、どこに出しても恥ずかしい立派な親不孝者というべきでしょう。

 両親は愛情深い人でした。いえ、亡くなったわけではなく懐古表現です。むしろまだまだ健康で元気に過ごしています。父は定年後に陶芸にハマったらしく毎週自転車で通っているようです。母は実家に居る妹や近所に住んでいる姉とよく旅行に行ったり食事をして楽しんでいます。爺ちゃんも少しボケてきてはいますが元気です。長男だけは放蕩息子なので遠くでフラフラと1人で生きており、だからこそ心配をかけている次第です。

 両親からは不足なく、むしろ過剰ともいえるほどの愛情を注がれたと思っています。身内だけでなく他人に対しても情の深い母は、家のことだけでなく近所の人々にも積極的に関わり忙しく日々を過ごしていました。料理が好きな母の作る食事は美味しく、今でも里帰りの楽しみです。父は昭和の男という感じで育児や家事はほとんどやりませんでしたが、毎日遅くまで働いて休日には遊びに連れていってくれたものです。あまり多くを語らず、悪いことをすれば烈火の如く叱りつける父を少し怖れつつも信頼していました。両親が口に出す言葉、与えてくれる行動の全てに愛があり、親というのはありがたいものだと子供心に思ったものです。

 「あんたがどれだけ悪いことをして世界中を敵に回しても、私だけはあんたを味方するよ」と母は言い、「お前が犯罪者になったら僕が責任を取ってお前を殺して僕も死ぬ」と父は言いました。今にして思えば過激派です。ただ、悪いことをしては両親に迷惑が掛かるからやらない方がいいな、と心底思ったものです。幸い今のところ警察のお世話になったのは財布を落とした時と自転車を盗まれた時、後は免許証の更新くらいでしょうか。教わった様々なことを死ぬまで続けていきたいものです。少なくとも悪いことはしないで生きていく予定です。

 善悪で思い出すのは大学生の頃。バイト代が入る一週間前には財布から現金が無くなるような貧乏学生でしたが、ある日の明け方に道を歩いていると立派な家の玄関先に財布が落ちていました。小銭は散らばっており、表札と同じ苗字の免許証やカード、そして紙幣でずっしりと重い立派な財布はおそらく持ち主が酔っぱらって家の鍵を探すときにでも落としたのでしょう。小銭を拾い集めて財布に戻し、多分そのうち気付くだろうとポストに財布をぶち込んで大学に行きましたが、その日の夜にようやく財布をネコババするという悪事をできたことに思い至りました。私が以前に落とした財布は紙幣が抜き取られていたのでもっと早く思い付いてもよさそうなものです。財布を拾った時に考えたのは、この免許証に映っているおっさんが困るだろうから仕方ねえ小銭も拾っといてやるか、玄関先に置いておいたら分かりにくいかもしれないからポストにでも入れておくか、朝刊が入ってるから取るときに気付くだろ、ということだけでした。悪いことをしないというよりも思い付かなかったということに親の教育のありがたさを感じたものです。その後この話を母にしたところ、「あんた小学生の頃も拾った財布をネコババしなかったんだよ、それでいいんだよ」と言われました。あの時、森の近くで財布を拾ったことを家の玄関で母に伝えた時、偉いと母が褒めてくれたからこそです。

 でも「男は三年に一度口を開けばいい」という教えは守れそうにないです。無理です。母の血を引いていますので、私はとてもおしゃべりに育ちました。兄弟姉妹の中では一番無口だと思っていたのですが、世間の基準ではそうではないようです。

 「一番尊敬している人は誰?」と聞かれた時、私は臆面なく両親だと答えています。世界で一番優れた人ではもちろんありませんが、私にとっては一番であることに間違いありません。母のおかげで私は五体満足に健康な体で生きることができています。頭が悪いのは自分の遺伝だと母は笑いますが、私が学生時代にあまり勉強しなかったのが悪いのです。あまり背が伸びなかったのは親に隠れて夜更かしをしていたせいでしょう。父のおかげで無事に大学まで卒業し、定職に就くことができています。技術屋・研究職だった父の仕事っぷりが好きで同じようになりたかったため、大学は工学部を選び技術屋になりました。エンジニアであることに誇りを持っている父のことですので、同じ道を歩んだことをおそらく喜んでくれていると思います。実家に帰ってもあまり多くは話しませんが、仕事の話をした時は助言や経験を話してくれる父を今でも頼りにしています。

 

 感謝や思い出はいくらでも書けるのですがとりあえずはこの辺りにしておきましょう。盆正月が近づくとまた書き残しておきたくなるかもしれません。

 今の時代は情報が溢れかえっておりあらゆる情報にアクセスできるような錯覚に陥りますが、実際は「年齢」や「経験」によって全く意味が異なる情報になることがあります。つまり「年を取らないと分からない」というような類のものです。"親"というものはまさにその一つだと思います。

 恥ずかしがり屋なのであまり面と向かっては伝えられていませんし、わざわざ口に出さないでもいいかとは思っていますが、感謝を伝えた時の「悪い気はしねえな」というはにかみ顔が好きなので時々は感謝を伝えていきたいと思います。親孝行も、まあできる範囲で頑張る所存です。

 ただ、息子に貯蓄や結婚、将来のプレッシャーを掛けるのはほどほどにしてもらえると嬉しいです。気持ちは分かるのですが、圧が強すぎて里帰りしにくくなりますので・・・