忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

指示待ちの若者に必要なもの

 軽めの思い付き。

 

祖母のお墓参り

 お盆休み、私が帰省をした際に必ず行うのが祖母のお墓参りです。毎年、両親と共に霊園に行っています。

 祖母は私が2,3歳の頃に、当時にしてもまだ早く60歳前後で亡くなってしまったため残念ながらあまり記憶には残っていないのですが、それでも気の強く孫に優しいお祖母ちゃんだったことを淡く覚えています。

 お墓は以前まで祖父が定期的に赴いて掃除をしていましたが、さすがの祖父も90歳を過ぎた頃から身体の調子に問題が出てきており、免許も返納したためほとんどお墓参りに行けていません。ここ数年は長男である父が時々機を見て手入れしているくらいで、お盆のような機会にしっかりとした掃除をすることが習慣となりました。

 つまりは帰省した私がちょうどいい掃除の人手ということで、

「さて、お祖母ちゃんところに行こうか」

「合点承知、祖母ちゃんに挨拶しに行かないとね」

という流れがあるという感じです。

 

 余談ですが、よくよく思い出すと子どもの頃教わったお盆の意味や手順を私の両親はここ数年明らかに手抜いている・・・ああ、いえ、簡略化しているような気がします。

 まあお盆のお墓参りはローカルルールばかりで正式手順なんて有って無いようなものですし、お盆の機会に先祖に思いをはせることが主目的ということで、それはきっと問題ないでしょう。

 そもそもお盆という行事自体が日本の祖霊信仰と仏教の盂蘭盆経(ただし偽経)を混ぜこぜにした独自性の高い習慣ですしね。輪廻転生を是とする仏教的に考えれば「祖霊がお盆になったら帰ってくる」というのはあり得ませんし。手順云々よりも「ご先祖様、どうもどうも」という気持ちがあれば多分大丈夫です。

 

掃除の手順

 そういうわけで毎年お盆になると祖母のお墓を掃除しているのですが、記憶力が皆無な私ですので掃除の手順は毎度さっぱり覚えていません。さらには父の手入れ具合によっても掃除箇所が変わるため、例年同じようなやり方ではありません。

 とはいえ型の決まったものでもなく、最初に父が大枠として今年はどこをどうするかを話し、それ以降は自然と3人それぞれで手を動かし始めます。

「今年は花立は掃除しなくていい、道具を持ってきてないから。これは後日に僕がやるから、それ以外を掃除しようか」

「はいよー」

くらいの連絡のみで、父は植木の剪定、母は雑草取り、私は掃き掃除などを自然と始めます。剪定が終わった父が墓石を磨けるよう墓石周りから雑草取りと掃き掃除を進めるといった順序立ても特にコミュニケーションを取るまでもなく自然と実行されていきます。

 

指示待ち人間に必要なもの

 そんな作業をしながら考えていたのは「指示待ち人間」についてです。誰が指示をせずとも必要と思われる作業に着手したお墓の掃除ですが、指示待ちの若者であればこういった時に何をすればいいか分からなくなるのではないかと思ったわけです。

 つまり、若者が指示待ち人間になるのは次のような前提があると考えます。

 

  • 目的意識が共有されていない
  • 集団に安心感が無い

 

 まず大前提として目的意識の共有はとても大切です。今回であればお祖母ちゃんのお墓を綺麗にするのだという目的とその意思が明確に共有されているため、まずは何をすべきか、次に何をすべきか、どの状態になれば完了と言えるか、をそれぞれが想定することができており、だからこそ自然と着手することができます。

 よく「目的の共有は重要だ」という話がビジネス誌ではされますが、これだけでは少し片手落ちです。より重要なのは「意思の共有」です。

 極論、人はやったことがなかろうが意思があれば何らかに着手する行動に移るものです。逆に意思が無ければ積極的な行動を示すことはありません。分からなければ分からないなりに処理しようとしますし、知らなければ知っている人に聞いたり調べたりします。

 意思の共有はとても大変ですが、指示待ち人間を減らすためには必要不可欠な工程です。

 

 集団における安心感の存在も重要です。たとえ意思があって着手しようとしても、それを寛容によって受け入れられるという安心感が無ければ人は委縮してしまいます。

 それこそお墓の掃除で

「じゃあまずはお墓磨くかー」

「アホかボケ!草むしりしてるこっちに水かかるじゃねえか!敷地内の足元からやるのが常識じゃ!」

なんてコミュニケーションが発生するような関係性では、誰だってリスク回避のために指示を待ちたくなるというものです。

 これは実際にそんなコミュニケーションが発生したかどうかではなく、そんなコミュニケーションが発生する予感が存在する時点でもう駄目です。怒られない、貶されない、そういった未来を予想できる安心感があって初めて人は指示されていない行動を取りやすくなります。

 

結言

 つまるところ、指示されないと動けない若者に必要なのは「一緒にやろうと思えて、さらには安心感を与えてくれる上司や先輩」ではないでしょうか。

 ・・・とてもハードルの高い結論です。