年に数度しか帰省しない親不孝者のボンクラ息子ではありますが、さすがに盆と正月くらいは実家に顔を出して両親に生存報告をします。
姉と妹が実家の近くに住んでいますので私は別にそこまで顔を出さなくてもいいかな、などと少し思っていたり。まあ、ただの親不孝者です。
昨今はコロナの再流行も懸念されるところではありますが、今年もなんとか無事に帰省することができました。あまり長く居座ると母が感傷的になり過ぎるため早々にお暇する予定ではありますが、とりあえず帰省中くらいは両親との会話を楽しもうかと思います。
ただ、帰省中にブログを書く時間はほとんど取れないため、今回は短縮版です。事前に帰省中投稿する用の記事を準備しておけば良かったものの、今回もそんな時間はありませんでした。
ちなみに去年もまったく同じことを言っています。
なんともまあ、反省をしない人間ですこと。
しまった、テーマが無い
そんなわけで寝る前の短時間にさっと記事を書いているところではありますが、今回は記事のテーマがさっぱり思い付いていません。帰省途中の車上、オンリーロンリーな運転中に後方へ流れ去っていく高速道路の景色を見ていれば何かしらネタが思い付くかと思っていたのですが、そんな天啓には恵まれませんでした。
と言いますか、今回の帰省は眠気が酷く、居眠り運転を避けるために途中で買った硬めのグミをじっくりと噛み締めることに必死でした。どうにも疲れているのかもしれません。
一応いくつか記事として書きたいテーマは下書きにあるものの、それらはいずれも重めのテーマであり、さすがに寝る前の30分で文字に起こし切れるような代物ではございません。
そんなわけで、こんな軽い話を日記的に書いている始末でございます。
実家に帰るとテレビを見て新聞を読む
普段は1マイクロ秒もテレビを見ない生活をしているのですが、実家に帰ると何故かテレビを見ます。普段は読んでいない紙の新聞も読みます。
これは別にテレビや新聞を毛嫌いしているわけではなく、単純に普段はテレビや紙の新聞に時間や費用といったコストを払っていないだけの話です。テレビを見れる環境であれば見ることもありますし、紙の新聞が読める環境であれば読むこともあります。
個人的には情報ソース自体で選別するつもりはありません。テレビはテレビ、新聞は新聞、雑誌は雑誌、ネットはネット、それぞれ個別の良し悪しがあるものです。
情報入手において重要なのは何よりも情報源を制約しないことです。たとえどれだけ怪しいと思っている情報源からの情報でも得ることには価値があります。
正しさは必ずしも絶対的なものではなく、時には相対的に「正しくないモノ」との比較で浮かび上がることもあります。人は正しさだけを見ていると正しさを判別できなくなるものです。
その点を考慮すれば、正しくない情報ですら役立てることができます。
結言
どれだけ胡乱な情報をまき散らしているゴシップ紙であろうと、その情報自体には価値があると言えます。確かさを指し示すリトマス試験紙において確かな情報との差異を示すには、異なる変化を示す不確かな情報が必要なのですから。