忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

結局テレビってどっちに偏ってるの?

 結論の無い、ただ疑問を呈するだけの話。

 

中道的視点

 私は良い言い方をすれば中道、悪い言い方をすれば日和見主義者です。極端こそを避ける穏健派でありたいという願望を持っています。

 直ちに物事を変革したい急進派の気持ちが分からないわけでもないのですが、その意見や方針がどれだけ正しかろうともそれを急激に推し進める急進派のやり方は人々の平穏を乱しかねないものであり、それによって傷つく人々をコラテラルダメージだと切り捨てるのは感情的に好みません。

 もちろん即座に変えないことによって傷つく人がいることも事実であり、だからこそ急進派が不要だとも思いません。どちらか一方だけでは駄目で、急進派と穏健派が上手くバランスを取り合いどう変えていくかの最適な落とし所を話し合いによって模索することこそが必要だと考えます。

 

不偏不党の理想性(非現実性)

 私のような中道を好む人は党派性に偏ることを避けるため、情報源を他方から収集することが自然と習慣付きます。たとえどれだけ発信者が意識して気を付けていたとしても、情報が発信者というフィルターを通さなければ発信できない以上、個人やメディアの情報発信は必ず党派性を帯びるからです。そのため、ある情報一つとっても必ず複数の情報ソースを参照することが習慣となります。

 公正中立を謳うメディアであっても、それを発信するのが個人や団体である以上、この理想が実現されることは物理的にありえません。公正中立はジャーナリズムの理想ではありますが、その実現が難しいからこそ果たすべき義務ではなく"理想"とされています。

また情報源の所属や質問者によっても情報の意味が変わることがあります。中東においてアメリカ人の記者がアメリカの軍人に質問すれば「過激派が暴れていて危険な街だ」と答えるでしょう。中東の記者が中東人に質問すれば、同じ地域でも「私たちの街は平和だが、アメリカの軍人が居て怖い」と答えるかもしれません。同じ地域の情報を集めているのに人によって情報が変わってしまうのです。

 

マスコミに対するスタンス

 ちなみに私はテレビを見ていません。

 私がテレビを見ないのは「映像情報よりも文字情報のほうが好みだから」というだけです。マスコミは嘘つきだ!とかメディアは偏向している!とかそういうわけではないです。

 情報発信なんて、何をどうしようとも誤報で結果的に嘘を付くことになったり、人が発信する以上偏向するのはやむを得ないと思っていますので、殊更にマスコミだけを叩く理由は無いです。

 もちろんマスコミを叩くべきではないとも思わないです。誤報をやらかしたらちゃんと謝るべきですし、極端な偏向にクレームを入れるのも当然です。

 つまり、「マスコミは絶対正しい!」「マスコミはまったく信用できない!」のゼロイチではなく、情報ソースの一つとして用いればいいと思っています。少なくとも情報発信にかけては専門家の集団であり、意見(オピニオン)を採用するかはともかくとしてその事実(ファクト)の発信量に関してはマスコミに一日の長があることは事実です。

 

テレビの偏りに関する不思議

 そんな感じに情報の入手方法やその党派性について一家言持っている私ではありますが、結論を得られていないことが一つあります。

 それはテレビの党派性です。

 放送法による縛りはあるものの、前述したようにテレビだって公正中立は不可能です。どうしたって局の意向というものは発生します。

 いえ、むしろ新聞やWebメディアに比べて映像情報は制作にコストが掛かることから他の媒体よりもスポンサーの意向を無視し難く、公正中立が難しいメディアと言えるでしょう。だからこそテレビは新聞と違って放送法による縛りで不偏不党を求めているのかもしれません。

放送法

第一条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること

 

 私はそもそもテレビを見ないので目にする耳にする話でしかないのですが、テレビは偏っているという意見を時々以上の頻度で聞きます。

 それも不思議なことに、保守系からも革新系からもです。保守系の人は「テレビは与党を叩いている」と考え、革新系の人は「テレビは与党に忖度して叩いていない」と言っています。

 左右どちらから見てもテレビは偏っているということですが、これは一体どういうことなのでしょう?

 

テレビに特有な気がする

 もちろんテレビ放送では様々な局があり、そこではたくさんの人が働いているのですから、テレビと一括りにして語るのは意味が無いです。ただ、一つの局の報道を取っても左右双方から批判が出るというのは何故なのでしょうね?

 他のメディアはテレビとは違って不偏不党を義務付けられていないですし、党派性が分かりやすいじゃないですか。朝日や毎日は右派、読売や産経は左派から叩かれる、というような方向性が比較的明白です。言論サイトも同様に、アゴラが左派から批判されるのは納得ですし、論座が右派から批判されるのもやはり納得です。

 

 だからこそ、テレビはなぜ双方から批判されるのだろうと疑問に思っています。

 前述したように情報というものが人というフィルターを通す以上、同じ情報を受け取ったからといって同じ結論に至るとは限らない、という当然の現実を踏まえても、ここまで双方から批判されるのは不思議に感じます。

 このあたりの理論を整理してみたいところです。

 一応、テレビの党派性は「保守・革新」ではなくスポンサー、視聴率、与党の支持率、放送の自由度ランキング、あたりを絡めて理論をまとめていますが、まだ上手く言語化できていません。

 何かこのあたりについて見解や調査結果があればご教示いただけますと幸甚です。

 

 

余談

 テレビは見ていないですが、文字情報であれば新聞系や雑誌系だけでなく言論サイトも様々見ています。保守系と革新系の情報を交互に読んでいると脳がバグりそうですが、むしろその感覚が楽しくなりますのでおすすめです。