忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

つまり、文章を書くのが好きなのだ

 次にアップロードするための書き途中の記事が政治やら経済やら軍事やらヘビーな内容ばかりになってきてしまったので、あえて息抜きとして軽い記事を書くことにしましょうそうしましょう。ふわふわした記事を書くのもまた一興なのです。

 人生において一興というのはとても重要です。何事にもちょっとした面白さを見出せるかどうかは人生の質、Quality of Lifeに関わるといっても過言ではありません。学術的な研究結果があるわけではないので過言です。

 まあ、つまらないよりは面白いほうが面白いのです。

 

怪文書を書く芸風・・・芸風?

 特に深い意味はなく、なんとなくの思い付きで唐突に怪文書を書く芸風が私にはあります。直近だとこの辺りですね。

 (なぜ講談や落語風な口調になっているのか、書いた本人も不思議に思っています)

 

 他の例を探そうと昔の記事を漁りましたが、意外と「極端な怪文書」は少なく「中途半端に怪文書」ばかりだったため探すのを止めます。大体全部の記事がほどほどに怪文書です、はい。

 私としては読んだ人が少しクスっと笑えるような"快"文書を目指しているんですけどね・・・でもそのためにまずはくだらないオヤジギャグや言葉遊びを止めることから始める必要がありそうです。

 

 普段は一応真面目風な怪文書を日々考えていることを整理してつらつらと書いていますが、そうではない極端な怪文書は思い付きで書き始めます。戦略や意図、意識や狙いなんて大層なものはなく、本当に思い付き以外の何物でもありません。

 単純に文章を書くのが好きで、さらに変な文章を書くのが好きという性癖だからだと思います。

 この記事はにほんブログ村の注目ハッシュタグなるものを見掛けて、「お、これをネタにすればなんか書けるかな」とチャレンジした結果です。チャレンジに失敗しているのはご愛嬌。人生の4割は愛嬌で誤魔化せると信じています。謎の信仰ですね。

 

 最初に例示した生き物の慣用句とことわざ盛り沢山の怪文書も、なんか急に動物をテーマに文章を書きたくなったから、というだけです。

 具体的に辿れば、

「三人寄れば文殊の知恵の"文殊"ってそういえばなんだっけ?」

「ああ、智慧の象徴である文殊菩薩から来てるのか」

「へぇ、高速増殖炉もんじゅの元ネタでもあるんだ」

「もんじゅに智慧は・・・あったかなぁ、まあ深く考えるのはやめておこう」

「なんか似たようなことわざがあったような、虎、虎・・・そう、三人虎を成す」

「デマも繰り返せば受け入れられるということわざだったかな」

「あ、そういえば動物のことわざっていっぱいあるし、いっぱい使った文章を書いてみるか」

くらいの軽いノリです。

 私の中枢言語で一番使われている単語は恐らく「そういえば」です。延々と「そういえば」を使って連想ゲームを脳内でやるのが趣味のようなところがあります。変な趣味です。

 この連想ゲームでポコポコと浮かんでくる何らかの思索、発想を言語化して外部に取り出すという作業が好きです。

 つまり、やはり単純に、文章を書くのが好きなだけです。

 

 

余談(動物)

 動物の慣用句やことわざはちょっとネガティブな事柄を表現するのに用いられることが多く、ちょっと文章が書きにくかったです。

 「畜生」のような罵言を代表例として、人を貶めたり悪い事柄を表現する言葉には動物が用いられることが多々ありますので、慣用句やことわざも同様の傾向を持っているのでしょう。

 動物を下に見るなんて、人間は傲慢な動物ですね。(辛辣)

 

 ちなみに、動物と人間の関係性は様々な作品で描かれていますが、私は2017年に放送されていたアニメ「けものフレンズ」が現時点で理想的な作品だと思っています。

 普段はあまりアニメ作品を見ないのですが、ここ10年くらいで唯一といっていいくらい「真面目に視聴した」作品でした。

 この手の作品は「自然を超越する優れた人間」か「自然を疎かにする愚かな人間」という二極化した対立構造で描かれがちなものです。しかしこの作品は人間をただ自然を破壊し動物を殺傷する愚かな生き物だと描くのではなく、ヒトと自然の共存、自然を受け入れて自然に受け入れられるヒト、「ヒトは自然とどう接し何をすることができるか」を描き切った点で、とても素敵でした。

 子ども向けの作品ですしちょっと絵作りが初心者向けではないのですが、大人こそ見る価値があると思っています。

 2期、待ってます。(闇)