忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

雑記ブログには自らの思想や嗜好が投影されるか

 雑記ブログだと言い張っているこの駄ブログですが、その実態はただただまとまりが無くその時々に考えたことを書き綴っているだけで、方向性が無いだけです。

 しかし気付けばブログを初めて1年以上、そろそろ何らかの傾向が出てきたのではないだろうか、繋ぎ合わせれば自らの心理や哲学がそこそこに投影されているのではないか、思想信条の傾向が見えるのではないか、とふと思い立ちました・・・まあ大層な理由はなく、お名前.comから「おう、お前が独自ドメインを取ってからそろそろ一年立つが、どや、更新するか?」と連絡が来たので思い立っただけです。

 そんなわけで突然の総集編的に、小学生男子の机の中の如く散らかりきっているこの駄ブログを軽くひっくり返してみましょう。私も小学生男子を6年くらいやってきた経験がありますが、机のお道具箱の中は控えめに言ってカオスだった記憶があります。多分このブログも同じようなことになっていることは間違いありません。

 あ、一応なんとなく記事をまとめたページもありますので、奇特な方がいらっしゃいましたら覗いてもらえると恐悦至極でございます。 

記事のまとめ(社会) - 忘れん坊の外部記憶域

記事のまとめ(ビジネス) - 忘れん坊の外部記憶域

記事のまとめ(雑記) - 忘れん坊の外部記憶域

 

記事カテゴリの傾向

[カテゴリ一覧(記事数)]

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 話題の傾向としては社会系やビジネス系が多いようです、技術屋のくせに技術系の話はあまりしていません。これは学生の頃の趣味や嗜好を未だに引き摺っているようで面白い結果です。

 高校生の頃、理系の私の得意科目は国語と社会科、苦手科目は数学と理科でした。学校の勉強が嫌いで全教科平等に勉強していませんでしたが、勉強しないでも国語と社会科は点を取れていたのです。その頃からの適正が未だ如実に表れています。

 そろそろ記事のまとめ(技術)とかを作ってみたいところですが、ただ内容が・・・メタ的に抽象化している記事が多いのでまとめにくいです。本気でカテゴリ化するなら専門性を上げたいのですが、専門性が高い記事を雑記ブログでやるべきかというと・・・ねぇ。

 例えば熱力学の偏微分ばっかりの状態方程式を書き連ねても、読み手はつまらないですし書き手も手間ですしで誰も幸せにならないような気がします。

 どちらかというと技術というよりは理系科目的な区分にして、非専門的な理系話をもっと公開していきたいですね。興味関心の導入部として。

 

記事の傾向(社会)

 社会系の記事では「何らかの対立構造」や「誰かしらの意見」に対しての私見を述べているものが多いです。

 書く上で心がけていることとしては、対立の激化や暴力性の増加は避け、問題に直面している人々が十分納得と利得を得られて皆ハッピーになる方向へ向かえる意見を出せるよう考えています。

 今はごった煮の雑記ブログを書いていますが、最初は専門ブログか雑記ブログをやるか悩んだんですよ。それで、専門ブログをやるのであれば『両論併記』というブログを考えていました。

あちらにはこんな意見があるけど、そちらにはこんな意見があります。

意見の比率はこのくらいの差です。

それぞれ見比べてみて、この部分は正論で理屈が通っているけど、ここはちょっと妥協できないかな、こっちの意見はここの部分を調整すると反対相手も納得しやすくなるんじゃないかな。

最終的にはこうなると皆嬉しいと思うよ。

 こんなイメージのブログです。データ収集が大変そうだったので諦めましたが、その小規模なことをこの雑記ブログではやっています。

 

 簡単に言えば、「敵を打ち倒す」路線ではなく「敵を味方にする」路線が好きなのだと思います。

 ふた昔以上前の物語作品、特にゲームや漫画ですけど、勧善懲悪的に「絶対的に邪悪な奴を倒してハッピーエンド」なものが多かったじゃないですか。例えば世界征服を企むドラクエの魔王のようなものです。

 それが平成初期くらいから「悪い奴にもなんらかの事情があるんだ」というような、テイルズオブファンタジアの魔王ダオスのように、実は世界征服ではなく世界の救済を頑張っていたのだ、というようなものが流行るようになりました。

 しかし、相手にも事情があるのは分かったがそれはそれとして最終的にはこちらの事情を押し通す、という結論に至るパターンが多くの作品であったように感じています。まあそれは物語としては仕方がないことです。物語の途中で主役が急に路線変更してしまっては、それに付いてきたユーザーも困ってしまいますので。

 ですが現実社会においては物語が終了することはなく、世界は続いていきます。片方の意見を押し通したからといって相手が物語的に消えて無くなるわけではないのです。片方の意見を押し通そうとすればもう片方の抑圧された側は強く反発し、それによって世界には分断が広がっていきます。政治や経済、男女や世代など現在盛り上がっている社会問題の根本にはこういった意見の押し通しによる殴り合いが延々と続いていることが原因の一つにあるのではないでしょうか。

 だからこそ、ただ敵を倒すのではなく、ただ意見を押し通すのではなく、その先の価値観として、

相手の意見を理解し、こちらの意見も理解してもらう

双方アサーティブにコミュニケーションを取り

互いに自己実現が果たせるような

分断ではなく協業、敵対ではなく味方の関係性を構築する

ような方向性が現代では求められていると考えます。

 

 考えをまとめてみます。

 意見が違う時に多少殴り合いが発生するのは仕方がありません。それも一つのコミュニケーションであり、相互理解には必要な時もあります。

 ただ、物語と違って殴り合いを続けていても相手が消えて無くなることはありません。それでは互いに疲労するばかりですし、仲直りも出来ず、いずれ分断が広がっていくことでしょう。

 それよりも「いいパンチじゃねえか、気に入ったぜ」と殴り合うのを止め、互いに遺恨を持たず、仲間になるもよし、普段は憎まれ口を叩きつつもピンチの時には助け合うようなライバル関係になるも良し、いずれにしてもそういった関係性を構築したほうが互いにやりたいことがやれるのではないかと、そう考えています。

 

記事の傾向(ビジネス)

 ビジネス系の傾向は比較的はっきりしていますね。若者には「無理せず頑張れよ、今のうちにお勉強しとくとお得だぜ」、年長者には「もっと良いやり方を一緒に模索しようぜ」という意見が主軸、のつもりです。

 年長者にはちょっと厳しい意見を述べている記事が多いかもしれません。これは私が「年を重ねた人間は若者の壁としてちゃんと立ちはだかってあげるべきだ」という極論を持っているためです。若者のためには乗り越えるべき強い大人が必要で、だから大人こそしっかりせねばならんのだ、という思想が年長者への風当たりを強くしているのです。酷い話ですホント。

 

結言

 長くなったのでこの辺りで終わりにしましょう。大きなカテゴリとなっている記事群には自分の趣味や思想が強く反映されていることが分かりました。雑記ブログというのもなかなか侮れませんね。

 しかし実はそれ以外の雑多な記事、例えば時々書いている怪文書にこそ自身の深層心理が反映されている可能性もあります。いずれはそういった小さな記事群についても分析をしてみましょう。