理系の臭いとは・・・?
過去の文章を読み返す機会
自分で書いた文章を読み返す機会が度々あります。
仕事においては過去に作成した報告書や教育資料を読み返して再利用・転用することがありますので自らの稚拙な過去の文章と度々向き合うこととなりますし、当然このブログも機会の一つです。このブログは記憶力に乏しくすぐに物事を忘れてしまう私の外部記憶域であり、頻繁に読み返しています。
ブログの記事は「以前に何を書いたっけなー」と適当に巡回して読み返すこともありますが、どちらかと言えば外部記憶域としての使い方のほうが多いです。
「あれ、学問の自由に関しての元データはどこだっけ・・・そういえばブログにリンクを貼ってあったな、そこから辿るか」
「IMDの世界競争力年鑑以外で生産性を評価している統計は何があったっけ、たしかWEFで・・・そういえば昔記事を書いたからそこにあるな」
といった感じです。
そのため雑記ブログとして特にテーマ性の無い自由気ままな記事を乱雑に投稿しているこのブログの中でも『国際統計等の分析をしている記事』や『技術屋に役立つ情報を整理している記事』を読み返す機会がどちらかと言えば多いでしょう。
これらの記事は文章としての面白味が無いのでブログ仲間の常連さんからはおそらくあまり評判が宜しくない記事群なのですが、それでもそういった記事をちょこちょこ投稿しているのは個人的な役に立つからです。
む、こやつ理系じゃ!者共出合え!ひっ捕らえよ!
記事の傾向はさておき。
自分の書いた文章を読み返すと、極めて強い理系臭を感じます。もう隠し味なんてレベルではなく、むしろむせ返るほどです。職業病なのか理系臭が年々きつくなっている気すらします。
先日の記事も特に深く考えず「久しぶりに文語で日常を表した記事を書こうかなー」と手癖で書いた文章ですが、無意識に選択するワードの一つ一つが理系です。むしろ手癖だからこそいつもよりも理系感が出ています。
(日常を文章に書き起こす趣味の類例)
別に理系臭が悪いわけではないのですが、もうちょっとこうなんというか、お洒落で情緒的な文章を書きたい気持ちが無きにしもあらずと言いますか、そうなるように書いているつもりなのにまったくそうなっていない感がモヤモヤします。
例えるならば、「佛跳牆を作りたいのに完成したのは臭豆腐だった、これはこれで別に悪くはねえけど臭いも癖も強すぎるぜ」といった気分です。どんな気分だ。
もっとお洒落で情緒的な文章を書くためには己の中の理系人格を監禁する以外はないのですが、なかなか同化が進みつつあり上手くいかないのが困ったものです。そもそも理系的じゃない文章の書き方なんて、どう書けばよかったのかすら記憶が薄れてきています。
結言
最近は全然小説を読めていないので、たまには小説を読もうかな。
そんなことを思っているだけの話でした。
これだけの話にこの冗長な文章量、これは理系的なのだろうか・・・
余談
(全力で理系人格を監禁したときの記事)
(ことわざをたくさん使えば理系じゃないと思っているお馬鹿さんの記事)