忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

技術屋は察することが苦手

 実家が嫌いなわけではありませんし、親族を好んでいないわけでもないのですが、帰省をすると少しストレスが溜まります。

 これは職場で日常的に接している技術者集団とはまったく異なるコミュニケーションを求められるためです。もう少し直接的に言えば、毎度ミスコミュニケーションで怒られるので少し疲れます。

 大学で工学を学び、企業で技術者として勤めて10年以上経った私のような技術屋には、コミュニケーションのコードが異なるとなんとも大変さを感じてしまいます。

 

技術屋は行間を”あえて”読まないよう訓練される

 以前にも記事にしたことがありますが、技術屋のコミュニケーションは「技術」という名の言語を用いて行われます。

 そのためには誰が見ても一意に分かることが不可欠です。同じ記号を使い、同じ単位を用い、あの人が見てもこの人が見ても同じ意味で理解でき、どこの国の誰がやっても同様の成果を出せる状態が肝要であり、環境や事物を構築し、維持し、改良し、変革していく、その連環を作り上げることこそがエンジニアリングの真髄です。

 

 つまるところ、エンジニアの基本的な思考には画一的な基準統一的な理解、そして明瞭な情報の伝承が根底にあります。

 工学は明確な基準とルールを事前に学ぶことが前提にありますが、マナーや常識はその場で問われることが多く、私からするとまるでクイズのように感じます。

 さらに言えば、マナーや常識は状況や地域的な風習によって定まるものであり、定式化されておらず、口伝で伝承されることも多いものです。場合によってはその時々の空気で決まることすらあります。

 これがエンジニア的には難しいのです。

「そんなの常識だろ!」

「この程度のマナーも知らないのか!」

と言われましても、それはどういう規格に基づいて、どこにどのように書いてあり、どうやって定型化して伝達されているのか、そういったことが分からないため普段の感覚との乖離を感じてしまい理解が阻害されるのです。

 ITエンジニアが一番シンプルに分かりやすく、彼らは同僚やコンピュータと「プログラミング言語」を用いてコミュニケーションを取ります。私たち機械技術者も「数学」や「物理」や「力学」といった言語を用いて同僚や機械とコミュニケーションを取ります。

 エンジニアリングの分野でコミュニケーションを行うためには画一的な基準が不可欠です。受け取り側による解釈の余地があっては画一的にならない以上、技術者は必要なことを画一的なプロトコルで言葉にして、言葉にされたことは素直に受け取る、そのような訓練を施されます。伝えたことしか伝わらないことが当然で、行間を読むことは求めませんし、むしろ技術屋同士のコミュニケーションではあえて行間を読みません

 各自で解釈余地があるような状態は伝達ミスを引き起こしかねないリスクだと考えます。

 

行間を読まねばならぬ

 ただ、この類のコミュニケーションに慣れ過ぎてしまっていると、非技術者とのやり取りで支障が生じます。

 

 今回の帰省での事例を話してみましょう。

 私の実家には親族が例年訪れます。今年は祖父の初盆でもあり、訪れる親族の数は多くなることが想定されていました。

 

私「いつに帰れば都合がいい?」

母「いつでもいいよ」

私「では、この日に帰ります」

 

 そうして帰省後、いつ帰宅するかを話すと怒られる私。

 

姉「その日は誰さんと誰さんと誰さんが来て忙しくなるんだからアンタも手伝わないでどうするの、馬鹿なんじゃないか!」

 

 私からすると、誰がどの日に来るかは聞いていないし、その日の人手がどれだけ足りていないかも言われていないし、そもそも手伝いが必要かも伺っていないので分かりません。

 しかし姉からすれば誰がどの日に来るかは各親族から連絡が来ているのだからそれを把握していない私が悪いのであり、そこから逆算すれば人手がどれだけ不足しているかだって想像できるはずであり、言われなくても手伝うのが当たり前のことだから叱っただけなのだと思います。直接聞くとさらに怒られるので推定ではありますが。

 私はテレパシー能力を持たないのでそもそも実家に誰から連絡が来ているかも知らなかったのですが、『連絡が来ているであろうことを察して、いつ誰が来るかを私のほうから確認して、手伝いを私から申し出る』ことが正解だったようです。

 別に手伝いは嫌ではないので「この日は誰が来るから手伝ってね」と一言伝えてもらえれば「はい承知」と二つ返事で返すのですが、そういった直接的な物言いはせずに察して行動することが正解のようで、なんとも、技術屋的な思考プロトコルに染まった人間からすると大変に難しく感じます。

 

結言

 思い返してみれば、父と母の夫婦喧嘩はいつも「言ってくれないと分からない」「言わなくても分かって欲しい」の形式でした。

 私が姉に怒られるパターンもほぼ同じです。反論しないので喧嘩にはなりませんが。

 

 本当に申し訳ないことに、私や父のような純度高めの技術屋は行間を読んだり察する能力がとても低いのです。これはもうそのように訓練されているため、なかなか矯正し辛いものがあります。

 こちらも能う限り努力はしますので、出来れば一言、言葉にしてもらえるとありがたいです。甘えではありますが、「技術屋は察することが苦手」だと察していただけますと・・・