忘れん坊の外部記憶域

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声を荒らげる技術屋は信用できない

 たまには物凄い偏見を語ってみましょう。

 

 個人的な見解として、声を荒らげる人は大抵の場合で仕事ができないと思っています。少なくとも技術屋で声を荒らげる人の仕事の能力は一切信用していません。

 そんな個人的偏見を述べていきます。

 

暴力が何故禁止されているか

 人が声を荒らげる理由は簡単で、我意を通すためです。

 人が他者に対して自らの意を通す方法には様々なやり方や技術があります。恐怖喚起アピールやフット・イン・ザ・ドアなど、心理学や営業界隈で用いられている用語は聞いたことがあるでしょう。

 声を荒らげることもその内の一つです。技術によって他者の心理的抵抗を回避・低減するのではなく、恫喝によって他者の心理的抵抗を麻痺させて意見を通すことが目的です。あまり意味のある例えではないですが、クラッキングで言えばDoS攻撃のような行為だと言えるかもしれません。

 

 確かに声を荒らげることが有効な場面は存在しますし、そのような方法が是とされている集団が存在することも事実です。また我意を通すために声を荒らげる手法が有効だと経験的に学んだ人が利活用してしまうことは理解できます。

 ただ率直に言って、声を荒らげることは怠惰だと私は思っています。時間を掛けて相手を説得する根気も無ければ、手間暇の掛かる説得的コミュニケーションの技術を学ぶつもりも無く、自らの過学習を矯正する意思にも欠けているのですから、ただの怠け者だと言わざるを得ません。少なくとも論理性を重視する技術屋としては不適格です。

 

 個人や集団、社会や国家を問わず、短期的に見て暴力は有効です。

 そして暴力に頼ることは安易で楽です。

 だから禁止されています。効果が無ければ誰も用いないのですから禁止する必要はありません。わざわざ禁止しているのは、水は低きに流れ、人は易きに流れるものだからです。

 古来より暴力は常に有効な手段として選択肢に存在したものですが、文明の発展につれて安易で簡単な暴力に頼って争うよりも複雑で難度の高いコミュニケーションをこなすことで協業したほうが長期的な成果が大きく持続性も到達点も高いことが分かってきたことから、現代の先進的な社会では道義・道徳以外に合理性の観点からも暴力が禁止されています。

 これは深く考えるまでもなく、簡単な算数です。

 100と100が争って削り合った結果は最大でも足し算の200であり、最悪は共倒れの0です。

 対して100と100が協業すれば、成果が出るまでに時間は掛かるものの最低でも200、理想的なイノベーションが達成できれば掛け算での成果10000が見込めます。

 よって短期的な利得よりも長期的な成果を目指す集団のほうが合理的であり、共有財産を蓄えて社会の維持管理を健全にして構成員の生活向上に資することが社会の正義である以上、社会的に暴力が否定されるようになったことは必然です。

 この程度のことを理解せず安易に恫喝のような暴力を用いる人間は、愚者と称する他ないでしょう。

 

技術屋の価値基準

 技術屋には科学的な思考が不可欠です。

 "科学的"については現代でも議論が続いており一言で説明するのは難しくありますが、大雑把に言えば、論理的な仮説検証に基づき、観測と実験による定量性・再現性・反証性を必要とする、体系化された知識によるものが科学的です。

 同じ証拠を積み上げていけば誰でも同じ結果へ到達することが科学では基本的に必要であり、必然的に共通言語としての筋の通った論理的思考が必要になることから、科学的思考は論理的思考を求められます。

 つまり、技術屋の仕事はロジックバトルです。時に政治力が問われることもありますが、どれだけ政治的な都合があろうが物理法則は捻じ曲げられませんので、基本的には論理に基づいた科学的思考が場を支配します。より強固なエビデンスに基づいて論理的な思考を組み立てることこそが重要です。

 そんな技術屋の世界では、声を荒らげる人はその手順を省いて我意を通そうとする無知蒙昧に他ならず、ロジックバトルの土俵に立つことすらできません。論外です。

 

 私は恐らく幸福な部類に入るのでしょうが、今は私の職場で声を荒らげる技術者は一人もいませんし、顧客やサプライヤーの技術者でそのような人に会ったこともほとんどありません。

 まあ、それが普通ですし、それ以外はおかしい話です。

 

結言

 つまるところ声を荒らげる人は、短期的な目線でしか物事を見ることができない愚者であり、安易で楽な暴力を振う怠け者であり、アサーティブコミュニケーションを放棄した無能であり、そして当然道義的な面から見ても不道徳な存在です。

 少なくとも技術屋の世界において勉強しない人間は役に立ちませんので、信用に値しませんし役にも立ちません。

 

 ・・・冒頭で偏見を語ると言いましたが、少し言い過ぎたかもです。