忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

日本の若者の好奇心が低い理由の推察と私的な好奇心の原点

 以前の記事で書いたアンテナ、つまり情報収集の能力ですが、これには好奇心の大小が重要となります。好奇心については過去にも記事を書いていますが、続きのような内容を書きます。

日本の若者の知的好奇心は低い

 今回は若者に限定して好奇心が乏しくなる要因を推察してみたいと思います。今時の若者論は好みではありませんが、教育社会学者の舞田敏彦先生がOECDの国際成人力調査を分析したデータを見るに日本人は全般的に知的好奇心が低く、さらに若者だけで比較すると極めて大きな差異が出ていることが分かります。

 日本人は新しいことを学ぶのが好きな人が4割程度に対して、欧米では6割以上であることが分かります。またスウェーデンでは新しいことを学ぶのが好きではない20代の若者の比率がほぼ0%なことに対して、日本の20代の若者では20%もいるようです。

推察1:学校教育

 欧米との教育の違いは多くの学者先生が研究されていますので私のような半可通が語ることなどありませんが、やはり系統学習に傾倒し過ぎていることは課題だと思います。もちろんベースとなる知識は必須でありそれを詰め込むのは悪いことではありません。そのおかげで日本の若者は読解力や数的思考力の分野において世界でもトップの成績を収めています。

 しかしながら先の舞田先生の記事にあるグラフのように、日本や韓国のように系統学習ばかりだと知的好奇心が伸びません。アメリカやフランスのように問題解決学習に傾倒していると数的思考力が伸びません。バランスが重要なのでしょう。

推察2:情報化社会

 グローバルで情報化社会が進んでいるため"日本の"若者の知的好奇心が低い理由には弱いですが、情報が溢れている時代では知的好奇心の格差が顕著になると考えます。好奇心が強い人であれば今はいくらでも情報を集めることができるため、カーネギーメロン大学の行動経済学者ジョージ・ローウェンスタイン教授が言うように「好奇心を刺激する情報ギャップ・情報の空白」が次から次へと生まれることになります。よって伸びる若者の知的好奇心は加速度的に成長していき、反対に好奇心が弱い若者は従来通り伸びないままです。

 つまり若者の好奇心が全体的に低いというよりも、好奇心格差が顕著に見えるようになったことが原因だと思われます。格差が大きいとトップランナーとの差が分かりやすくなるため、「新しいことを学ぶのは好きですか?」と聞かれても「いや、あの人たちほどは・・・」と自己評価を低くする傾向になるでしょう。この辺りは他者と比較をしてしまいがちな文化的要因も含まれていると考えます。(日本人の幸福度が低い理由と同じでしょう、あれは項目的な問題もありますが)

私的な好奇心の原点

 私は好奇心に不足無い人間だと自称しています。知らないことを知るのが一番の趣味です。その原点はどこにあるかというと、学校よりも両親、つまり家庭教育にありました。

 父は「人様に迷惑を掛けなければ好きに生きていい、勉強なんて別にやりたければやればいい」という人でした。そのくせ自分はインテリでクイズ番組を見ると真っ先に答えを言うような人で家族から顰蹙を買っていました。父のようになんでも知ってる大人に成りたいと思ったものです。小学生に連立方程式を教えるような人ではありましたが、父から言われる「こんなことも知らないのか・・・」という言葉は子供の競争心を煽るのに充分でした。

 母は何でも褒めてくれる人でした。学校で学んだことや読んだ本のことについて拙い説明をするといつも「そんなことも知ってるんだ、凄いね」と褒めてくれました。私は単純な人間ですのでもっと母に褒められたいと思い、教科書を隅から隅まで読み尽くし、休日には父に図書館へ連れていってもらったものでした。全ての棚の本を各棚何冊かは読むと決めて、中学生の頃には市立図書館の全棚を制覇したのを覚えています。

 古代ギリシアの歴史家トゥキュディデスの定義した「戦争の原因となる3要素」、つまり人間の行動における動機付けは恐怖(Fear)、名誉(Honor)、利益(Benefit)で表すことができます。父に呆れられる恐怖、そして母に褒められる名誉と利益。我が家は子供が好奇心を持つための動機付けに適した環境だったのかもしれません。

結論

 正直なところ若者の好奇心が不足していることについて学校に責任を押し付けるのは無理があるでしょう。たくさんの子供に教育を施さなければいけないため、先生が個別に好奇心を育ませるような面倒を見るには限度があります。また三つ子の魂百までですので、やはり家庭教育の段階である程度の問題解決学習を導入し、上手いこと動機付けをして好奇心を育てたほうが良さそうです。