忘れん坊の外部記憶域

主に時事やビジネス、政治経済や興味を持ったことについて書き散らしています。

寝たくない~睡眠嫌いの心理を自己分析してみる

 私は寝るのが好きではありません。子供の頃から寝るのが大嫌いでした。おかげさまで身長があまり伸びませんでした、ほどほどに後悔しています・・・今からでもぐーっと引っ張れば伸びないものでしょうか。

 できることなら毎日徹夜していたいくらいですが、多分あっさり死んでしまうので仕方なく毎日寝ています。世の中には寝ることが大好きな方がいらっしゃいますが、私にはどうにも理解することが難しいです。ちなみに私の姉と妹はちょっと引くほどに寝るのが好きなので、こう、育ってきた環境だけではない何かを感じます。

 そんなわけで今回は軽い話としてなぜ睡眠が嫌いかを自己分析してみたいと思います。

時間が惜しい

  一日は24時間しかありません。私は毎日大体4時間くらい寝ているので、体感としては20時間です。もうまったく足りません、せめて後2倍は欲しいです。魔法のランプを手に入れたらしたいお願い事が「この世全ての知識」である私としてはインプットに使える時間は無限に欲しいのです。いや、まあ、実際は知らないことを知るのが楽しいだけなので、全てを知ってしまったら退屈になるでしょうが。やっぱりランプには寿命を延ばしてもらうか、1日の時間を延ばすことをお願いすることにしておきましょう。

 知らないことを知る方法は様々あります。例えば近頃は動画サイトにおいて教育系・勉強系のチャンネルが充実しています。動画であれば視覚と聴覚の双方から情報を伝達できるため記憶を定着させやすく、勉強には大変に有効です。活字が苦手な今時の若者にはYoutubeでの勉強をおススメしています。

 しかしながら動画はどうしても視聴に時間が掛かるので私は苦手です。そのため短時間で情報を収集するのであれば未だテキストというのは有効だと思います。速読の訓練を若い頃にやっていたため今でもテキストであればそこそこの早さで読むことができるのですが、それに比べると動画は遅くて仕方がないです。動画を1時間見る間に本やブログ、記事などのテキストデータであればもっともっと多くの情報を入手することができます。

 最近は単位時間当たりのインプット量を増やすためにYoutubeで教育系のチャンネルを流しながら本を読むということに挑戦していますが、驚くほど記憶が定着しないため諦め気味です。いや、でも訓練すればいけるかも・・・

私を手放したくない

 私という人間は様々な機能(ファンクション)で構築されています。言葉を発する、思考する、文章を書く、食べる、笑う、触る、遊ぶ。自分で知覚し、他人から見える全てが私に付属した機能の出力です。私たちは自らの感覚器でしか世界を認識できず、それは自他の機能のみが世界を認知できる限界だということを意味しています。

 他人から見れば私が一部の機能を失った時に私が私では無いと認知されるかもしれませんが、私自身は一部の機能を失ったとしても私は私と言えるでしょう。

 私が私で無くなるのは自他の機能を認知している私の意識そのものが失われた時です。この私という意識はインド思想で言えばアートマン(小我)、近代哲学で言えばクオリア、デカルトの言う疑う私を意味しています。(哲学ガチ勢に怒られそう)

 睡眠時に私の意識はありません。言ってしまえば、寝ている私は他人の認知では私かもしれませんが、私にとっては私ではないのです。そこには機能を認知する私という意識が存在していないのですから。

 意識のハードプロブレムについては哲学の専門家ではないのでそこまで語ることができないのですが、少なくとも私にとっての私は今起きているこの私だけです。この私が連続的なのか離散的なのかが証明されていない以上、今この私は私しか認知しておらず、目を覚ました私が哲学的ゾンビになっていようが世界中の誰も気付けません。だからこそ、私は私を手放したくないのです。

最後に

 前段と後段で温度差がひどい分析になりました。不思議です。今回の記事では何回「私」と使ったのでしょうね。

 哲学的思考についてはインプットが10年ほど止まっているため、意識に関する考察が古いかもしれません。久しぶりに哲学の勉強をしたいと思います。ただ哲学は学問として面白すぎて、あまり熱中してしまうと人生に支障が・・・