忘れん坊の外部記憶域

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製造業は不良ゼロを目指すべきではない

 昨今に限らず企業による事件や不正行為が発覚した際には多くの企業が襟を正して不正ゼロ、事故ゼロ、不良ゼロを謳います。もちろん法規制への不適合やコンプライアンス違反といったものは社会的に許容されるものではありませんので改善処置が必須です。しかしながら製造業における品質不良問題において、不良ゼロを謳うことだけは避けた方が望ましいです。

 確かに不良ゼロは製造業における永遠の課題です。普通に考えれば不良はゼロであることが理想的でしょう。しかし長い製造業の歴史の中で不良ゼロが未だ永遠の課題や理想とされていることは、それをまともに達成できた組織が無いということの証左でもあります。

不良をゼロにする方法

  実は不良をゼロにするのは簡単です。

 例えば生産活動を止めてしまえばいいのです。何も生産しなければ不良品はできようがありません。もしくは不良品の基準を変えてしまうという考えもあります。作ったものを全て良品だと判定してしまえば不良はゼロです。他にも莫大な検査・予防コストを掛けるのはどうでしょう。天文学的なコストを掛けて膨大な人数と機械を導入すれば市場不良をほぼ防ぐことができます。

 つまるところ、企業が不良ゼロを目指すと言いつつ達成しないのは、それをすると事業が成り立たないからです。

一部の製造業における「品質」の誤解

  職人気質な人が多い製造業の一部においては品質に関する誤解があります。

 「品質が良いとはどういうことですか?」

 「モノの出来が良いってことさ」

というような考えが蔓延っているのです。これは大変に危険な誤解です。このような誤解をしているから不良ゼロなんて平気で言えるようになってしまうのです。

 誤解を解くためには品質の定義に立ち返らなければいけません。ISO(国際標準化機構)やJIS(日本産業規格)における品質の定義は次の通りです。

 「対象に本来備わっている特性の集まりが、要求事項を満たす程度」

 品質とは顧客の要求を満たすことであり、品質が良いというのは顧客の要求を適切に満たしている時に使われる言葉です。

 例えば莫大なコストを掛けて椅子を作ったとしましょう。お値段なんと500兆円です。モノの出来は良いですし不良品はゼロです。他の椅子には無い素晴らしい機能も搭載しています。これは世界で一番完璧な椅子です。

 さて、そんなものを量産して買い手は居るでしょうか。一部の大富豪が趣味で買うかもしれませんが一般の顧客は目もくれないことでしょう。何故ならば一般の顧客が求めているのはほどほどの値段で、そこそこの性能で、ささっと手に入る椅子だからです。これらを満たしているモノこそが品質が良いと呼ばれます。一般の顧客の要求は価格相応であり、決して不良ゼロではないのです。

 モノの出来がいいというのは、品質(クオリティ)ではなく性能(パフォーマンス)が高いことを意味しています。品質は読んで字の如く物の性であり、これはただ単純にそのモノに備わっている特性の集まりを意味しています。椅子であれば大きさや高さ、材質、色、価格、梱包、納期といった性質の集合が品質です。対して座りやすい、腰に優しい、高さの調整が簡単、というような出来不出来が性能です。

 この品質と性能を混同してしまっている誤解が一部製造業における悲劇です。これを混同すると顧客の要求に答えること、すなわち品質を高めることではなく、性能を高めることに傾倒してしまうのです。日本で言えば家電が良い事例かもしれません。顧客の求める品質は「適度な値段で必要な機能を持っていること」だというのにメーカーは顧客が求めていない性能を高めてその分高価格になっています。

 不良ゼロを目指すと当然ながらコストが増加します。それによって価格が顧客要求を超えてしまうようではその製品は品質が悪いということなのです。よって製造業は不良ゼロを目指すべきではありません。目指すべきは品質を良くすることです。

 もちろん顧客が満足する価格の範囲内で不良品を減らす活動は必要ですけどね。

余談

 製造業で膾炙しているQCD(品質・コスト・納期)という概念が曖昧なのも悪いと思います。正確にはPCD(性能・コスト・納期)として、これらを総括したものがQ(品質)だと再構築すべきでしょう。