忘れん坊の外部記憶域

主に時事やビジネス、政治経済や興味を持ったことについて書き散らしています。

押し付けるのは良くないという当たり前の話

 私が経験してきた範囲ではありますが、今まで音楽の趣味を無理やり押し付けてくる人に会ったことがありません。

「ロックなんか聞いてるのかよ、演歌聞こうぜ演歌!」とか、

「プログレを聞かないとかありえないだろ!」とか、

「ジャズ以外聞いてる人間の気が知れない!」とか、

「クラシック以外の音楽は滅べばいい!」とか、

どこかには居るかもしれませんが相当に珍しいかと思います。他のジャンルを否定的に扱ったりアーティストを比較して争うことはあっても、相手を叩き潰して世の中から消し去ろうとするような類ではなく技術を競ったりスキルを高め合ったりするカルチャーとしての競争の範囲内でしょう。

キャンセルカルチャー

 それに比べて主義主張や思想に分類されるもの、例えば政治や宗教、経済やフェミニズムのような社会に関する界隈では物凄い勢いで人に意見を押し付ける人がいます。声が大きい人が目立っているだけだとは思いますが、ニュースサイト上でのコメント欄やSNSにおいてとても目立っています。各所で毎日のように相手の考えを否定するような強い意見が並んでおり、日々炎上のような騒ぎです。

 相手の意見を否定して拒絶するだけではなく、社会的に排除することをキャンセルカルチャーと言います。私はキャンセルカルチャーを好みません。それは過去の記事でも書いているように、そこには相手に対する敬意や尊重というものが無いためです。

 確かに音楽や趣味の話とは異なり社会問題に対しては集団としての意思決定が必要で、民主主義社会における集団で自身の意見を反映した意思決定をするためには多数派となる必要があります。よって大きな声で持論を展開し、同じ思想を持った集団を形成する必要があることは分かります。

「敵を減らす」と「全体が縮む」

 しかしながら「味方を増やす」戦略ではなく「敵を減らす」ような戦略、すなわちキャンセルカルチャーに代表される反対思想を社会から排除するような方法論は民主的にも社会的にも望ましくありません。民主主義の金科玉条は話し合いのはずですが、敵を減らす戦略はそれを否定していることになります。それこそ大きな集団を形成できない少数派の意見が封殺されるような世論を醸成する危険がありますし、反対意見の集団が同様の戦略を取って止めようがない暴力の螺旋に陥る可能性もあります。

 なによりも社会の構成員が排除されていくことで社会全体が縮小方向になることが最大の問題です。自らが属する社会をより良くしたいと思って主義主張や思想を展開しているのに、それが皮肉にも自らの社会そのものを衰退させてしまうのです。

 これは主義主張や思想といった社会に関する問題以外でもあらゆる業界・事象で発生します。味方を増やす、つまり集団への新規参入者を増やせない集団は否応なしに先細っていき衰退するのです。

 最初に事例として出した音楽の業界が今なお規模を保っているのは新旧を問わずあらゆるジャンルを包括的に許容しているからです。この音楽は良いから残す、これは悪いから無くす、というような選別をせずそれぞれ自由にやっているからこその生き残りです。過去の音楽業界がクラシック以外を認めずに新しい音楽を受け入れてこなかったら、今頃音楽というものは古い文化として記録されるだけのものになっていたかもしれません。

 反対に熱狂的なマニアや専門家だけが残って新規参入者を寄せ付けなくなったものは発展拡張することができなくなります。それはいくつもの事例が人それぞれ思い付くかと思います。つまるところ健全な社会・業界・集団といったものを作るには裾野を広げる必要があるということです。規制や排除、特にそれらの顕著な事例としてのキャンセルカルチャーは集団の構成員を減らし土台そのものを崩すことに繋がってしまいますので宜しくありません。押し付けるのは良くないという、当たり前の話なのです。

余談

 きのこたけのこ論争で考えると分かりやすいかもしれません。分かりやすいかな?

 例えばきのこ派が多数派となりたけのこ派を排除したとします。その結果どうなるかというと、たけのこ派の分だけ売上が下がってメーカーの明治はその分衰退することになります。下手をすると倒産してしまうかもしれません。いや、まあ、そこまで影響はないと思いますけど。

 そうではなく、普段お菓子を食べない人を取り込んできのこ派に転向させることが繁栄に繋がる戦略です。そうすればきのこ派も増え、メーカーの売り上げも伸びて倒産の危険が無くなり、消費者も長くきのこを楽しむことができるようになります。

 ちなみに私はたけのこ派です。