忘れん坊の外部記憶域

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報連相が機能しない一つの理由~仕事の責任はどこにあるのか

 仕事は頼み頼まれ、任せ任されるものです。組織に属している人にとっては当たり前のことですし、フリーランスであっても同様です。仕事によって生み出された成果物を買う「お金を出す人」が居なければ商売として成り立たない以上、まったく一人で完結する仕事というものは存在しません。誰かしらと何かを依頼し依頼されるものが仕事です。

 誰かしらと必ず関係性を取る以上必要になるのがコミュニケーションです。ビジネスにおけるコミュニケーションのフレームとして最も有名なのが報連相(報告・連絡・相談)でしょう。この報連相には毀誉褒貶あり、重要だという意見と役に立たないから要らないという両極端の意見があります。なぜそんなことになっているのか、その理由はシンプルに一つだと考えます。それは責任の所在です。

仕事の責任はどこにある?

 分かりやすくするために適当な事例を考えてみましょう。

 ある部長がマーケットの情報を確認するために現在の売上と競合との差を知りたいと思いました。そのため課長に情報をまとめて今週中に報告するよう依頼しました。課長はその情報を知っている部下に仕事を任せたとします。つまり、部長が顧客、課長が依頼する側、部下は依頼された側と分類できる状況です。実際には部長は取締役に報告するために情報が必要なのかもしれませんが、今回は事例を単純にするため部長を最終顧客とします。

 しかし部下は別件で急に忙しくなってしまい今週中に資料をまとめることができませんでした。

 さて、この場合に仕事が終わらなかった責任は誰にあるでしょうか。

 この責任が部下にある場合、報連相はまず間違いなく機能しません。課長は責任を持っていないと考えているのですから進捗確認やマネジメントを怠ることになるでしょうし、仕事が終わらなければ部下のあいつが悪いと責任を押し付けることになります。部下からしても責任を取らない課長にいちいち報連相などをしている暇があったら仕事を進めることを優先するでしょう。なにせ報告をしても連絡をしても相談をしても意味が無いのですから。報連相が機能していなかったり無駄だと考える部下がいる組織は概ねこのような責任区分になっていると言えそうです。

 これは大変に不健全な環境です。マネジメントをせずに丸投げをするのであれば中間に居る人、今回の例であれば課長の存在意義がありません。またこのような環境では責任は常に実働部隊の下っ端にあることとなり、上層部に居る人間は責任を負うことが無くなってしまいます。組織における意思決定権者である上層部や管理職が責任を認識しなくなってしまってはその組織に未来はありません。

 口の悪い言い方になりますが、上層部や管理職の仕事は責任を取ることです。その(つとめ)をされているために意思決定をする権限や下っ端よりも給金をもらっているのです。意思決定には責任が伴わなければいけません。

仕事を終わらせる責任は「依頼された側」ではなく「依頼した側」にあること、これが鉄則です

 もっと簡単な例で言えば、部下の能力が10なのに100の仕事を割り振られたら仕事を終わらせることはできません。終わらないのは部下の責任ではなく、100の仕事を割り振った管理職、つまり依頼した側の責任だという当たり前の話です。

仕事を「依頼された側」の責任とは?

 仕事を終わらせる責任は依頼した側にありますが、それでは仕事を依頼された側には責任があるでしょうか。もちろん何らかの責任はあります、それが無ければ無責任になってしまいます。

 仕事を依頼された側にある責任は2つあります。

 一つは「仕事をする責任」です。無いのは終わらせる責任だけで、依頼を受けた以上仕事をするということには責任が発生します。この責任の範囲は依頼を受けたという自らの意思決定の範囲であり、もし仕事が終わらなかった場合の責任は顧客に対してではなく自らの信頼に対してのみです。信頼を損なわないようできる範囲で仕事をこなす必要があるでしょう。

 もう一つは「状況を報告する責任」です。仕事を依頼した側は進捗を管制しなければいけないため状況の確認を常に必要としています。依頼を受けた側はそれを補佐するため依頼した側に情報を提供する務めがあります。つまり状況を報告することも仕事に含まれているのです。社会人一年生に報連相を徹底するような教育がなされるのはまさにこれが理由です。

余談

 幸い私の社会人人生では今のところ責任から逃げる上司を持ったことが無いため報連相は適切に機能していますが、責任を取らない上司を持った場合はどうすればいいんでしょうね・・・逃げるべきなのかとは思いますが、そう言い切るのもまた無責任な気がしてしまいます。難しい問題です。